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大阪弁で描く人間の可愛げと人生の苦味-田辺聖子さん、ほな、また!

投稿日:

 

 

 

田辺聖子さんが亡くなられた

 

 

わたしにとっては

「おとなっていうモンはな…」

「オトコっちゅうのは…」と

 

 

 

まったり優しい大阪弁で

嚙んで含めるように教えてくれたひとが

いはれへんようになった…

仕事の終わりに飲みに誘ってくれた

職場のお姉さんみたいな先輩が、いなくなったような気持ち

 

 

 

 

あらためて田辺聖子全集 6を手にとった

これには「言い寄る」三部作が収録されている

(この全集は田辺聖子さんの作品を体系的に追える)

 

 

 

言い寄る」「私的生活」「苺をつぶしながら

何度目になるのか、あらためてこの三作を読み返してみて

こんな恋愛小説、最近あるか?

 

 

 

聞こえてくるかのような大阪弁のおしゃべりとテンポ

昭和48年から書き始められたというのに

このみずみずしさ!

 

 

 

恋に出会い悩み愛に育て、今を生きる20代30代40代に

関西の街や味、大阪弁に溢れ

働き笑い喋るイキイキとした人間たち

「アンタら、頑張りよし!」と声が聞こえるような

田辺聖子さんを読んでほしい

 

 

 

 

あんなに、大阪に愛を注いだ田辺聖子さんの死に

関西がえらい静かで

わたしは、それが残念でならない

 

 

 

 

だから、わたしが書いてみる!

田辺聖子さんのチャーミングな小説の魅力を

 

 

 

 

紹介したい作品は数々あるが

「言い寄る」三部作を中心に、「私的生活」を軸に書く

 

 

 

 

 

 

 

人間の「可愛げ」を書きたくて

 

あっといって、これ、貸して頂けませんか、と顔を輝かせている。〈さしあげますよ〉といったら、〈いや、ちょっとお借りするだけでいいです。ウチの誌上にですね、「人・動物、背くらべ性くらべ」という続き物がありますんで、そこに載せます。係りのヤツ喜ぶだろうなあ〉同僚を喜ばせてやろうという弾み心が、とても〈可愛げ〉があってすてきだった。

ーそう、人間には可愛げがなくては。

私はその「可愛げ」を書きたくて、〈女の子小説〉を書いている。

引用:田辺聖子全集 6  P707

田辺聖子「酒、唄、女、時雨の男、浪花はそのまま小説だった」

 

 

田辺聖子さんが書かれる人間の「可愛げ」とは

「この人ええな」と感じる瞬間

イキイキとしたその人らしさ、だろうか

 

 

 

前述した”チャーミング”という言葉がぴったりくる

男性にも、女性にも

 

 

 

まず、主人公 乃里子

 

見はらしがよくて、部屋数が多くて、造作に金をかけた、この豪華なマンションを見せられたとき、私はアサハカにも、

「結婚する、する!」

と剛に叫んでいた。私は、金にころぶ女ではないと信じていたが、現金を積まれても欲しくないのに、形のあるものを示されると、欲しくなる所がある。

引用:田辺聖子全集 6 「私的生活」P263

 

 

 

35歳にしては無邪気でストレートな言動が

乃里子の魅力のひとつ

それがイキイキと伝わる場面

 

 

 

何しろ「田辺聖子さん」なのだ

乃里子の話し言葉以外の部分に注目して欲しい

「アサハカ」 敢えて、カタカナというのがミソ

客観的に見つつ、自分を笑うようなノリ

 

 

 

結果的に「金にころんだ」自分を、おもしろがりながら

「だって、しゃーないやん!」とでも、言いそうな乃里子

この結婚が、”何かのはずみ”だったと告白するような

 

 

 

乃里子は、自分で稼いで自分の足で立っている女性

結婚を夢見るようなタイプではない

 

 

 

しっかり者の乃里子が

つい…”出来心”で、とでも言うような

まるでネタにしてるような場面

 

 

 

 

そんな乃里子だから

プレイボーイの剛がベタ惚れ状態

豪華なマンションにこのリアクション

剛は、得意満面だったにちがいない

 

 

 

 

乃里子は外見も美しいが

美人タイプではなく「かわいい」タイプ

自分の魅力を自覚し

その魅力に合ったお洒落ができる

 

 

 

 

そこに何歳だから、とか

流行りはこれだから、といった

世間的な物差しはなく

好きかそうでないか、似合うか似合わないか

自分の頭や感覚で選ぶ乃里子

 

 

 

 

人の魅力って、外見的なものだけでなく

笑顔や話し方やユーモアセンスや会話力

様々な要素で、「可愛げ」ができている

乃里子は、それを感覚的に知っている

 

 

 

 

わたしの”人を見る目”は

田辺聖子さんにかなり影響を受けている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言い寄る」では乃里子を派手に口説き

私的生活」では夫となった”ぼんぼん”の剛

彼もなかなかに”可愛いオトコ”でもあるのだ

 

「あのな」

と、バスを使い、ヒゲを剃ってきた剛がいう。

「なあに」

「時々、夢ちゃうかなあ、思う。こないして、横に乃里

ちゃんいてんの、夢みたい」

引用:田辺聖子全集 6「私的生活」P 273

 

 

さすが大阪の男・・・

こんなこと言われたら乃里子やなくても飛びつくなぁ

本心からの言葉だろうけど、ちょっと計算も入ってる

剛はそんな男

 

 

 

大きな会社の御曹司で

ルックスにも喋りにも自信があって

狙った女性は必ずモノにするような

時には傲慢さが鼻につく剛だが

 

 

 

こんな「かいらしい」(関西弁では「可愛らしい」を

こんな風に発音することがある)一面が剛の可愛げ

 

 

 

 

気取ってない、どこか憎めない

なんとも魅力的なところ

その人物の外見・話し方・声

すべて引っくるめたもの

 

 

 

 

「あの人らしいわ」と、皆が笑って言うような

そんなところを「人間の可愛げ」と

田辺聖子さんは愛しんでおられたのだと

わたしは感じている

 

 

 

 

 

 

 

人間の可愛げ」について

ここで終わるのは勿体無いほど

「言い寄る」「苺をつぶしながら」を始め

たくさん読み取ることができるが

 

 

 

 

やはり「私的生活」の中から

印象的な登場人物”中杉氏の可愛げ”を紹介したい

 

「二人きりの時だけ、乃里子さんと呼ぶことにします」

「秘密をもつことになりましたわね、主人に対して」

「ええもんですなあ」

と中杉氏は煙草に火をつけながらいった。

「秘密をもつなんて、オトナの資格や」

引用:田辺聖子全集 6「私的生活」P322

 

 

「あのう、たちいったことを聞いていいですか」

と私がいったら、

「どうぞどうぞ、お酒飲んだら、たちいったことを話し

合うのが、オトナの礼儀です」

引用:田辺聖子全集 6「私的生活」P440,441

 

 

「あたし、中杉サンが好きです」

「ソレハソレハ」

と中杉氏は、おちつき払って、

「まあ、風邪を早いこと、なおして下さい」

と切ったので私は、笑ってしまった。

引用:田辺聖子全集 6「私的生活」P455,456

 

 

中杉氏は乃里子の絵の仲間のパーティで

知り合った既婚者

 

 

 

 

若く美しい人妻に告白されても

動揺を微塵も感じさせず「ソレハソレハ」って!

こんなリアクションをする男性に

わたしは出会ったことがない

 

 

 

 

かわされた女性が、思わず吹き出してしまう

ー相手を笑わせるって、高度な人間力

こんな男性なら、ゆっくり話してみたいと

若い女性でも、思うんじゃないかしら

 

 

 

 

何食わぬ顔で、ひょいっと乃里子をかわし

相手の気をわるくさせない懐の深さと演技力

そして、人生経験を感じさせる中杉氏

 

 

 

 

また、剛とはまったくタイプの異なる

おそらく、外見はどこにでもいる”おじさん”

 

 

 

 

おじさんにはおじさんの「可愛げ」があって

それを見抜ける人こそ”オトナ”や

とわたしは思うのだが

乃里子は見抜き、剛にはない安らぎを感じる

 

 

 

 

「オトナの礼儀や資格」について

こんな魅力的なおじさまなら、わたしも教えて頂きたい

 

 

 

 

 

 

 

ここまでの引用だけでも

20代30代のわたしが

「オトナ」や「オトコ」について

認識を新たにしたと、十分わかって頂けるかと思う

 

 

 

 

人の魅力イコール人間の可愛げ

この可愛げにやられて、うっかり恋をしたり

その部分に温められたり安らいだり

 

 

 

社会的ステイタスや外見ではなく

目の前の人の可愛げに、気づけるかどうかやデー

と、田辺聖子さんの声が聞こえるようだ

 

 

 

20代30代、様々な経験をしながら

田辺聖子さんの小説も読む

読む度に、実感としてわかるところが増える

わたしも大人になったんやろか

 

 

 

 

気がつけば

人間の可愛げをたくさん見つけられ

ずいぶん助けられてきた

 

 

 

 

「人間の可愛げ」が、表情ににじみ出てるのが

「おとなやなぁ」と感じる

年で測るものでは、ないように思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう愛していない…ということのむつかしさ

 

これも、田辺聖子さんが

「私的生活」で書きたかったこと

 

 

 

”(夫や恋人を)かつては愛していたが、今は愛していない”

それに気づき苦しみ、新たな道を選択するヒロインを

田辺聖子さんは、たくさんお書きになっている

 

 

 

その中でも「言い寄る」三部作の乃里子は

当時から、たくさんの人の共感を得て愛された

 

 

 

ある日突然、「もう愛していない」と気づくのでなく

その芽のようなもの

”ほころび”が、日々の中に転がっている

 

 

そのとき、私は気がついたのだった。私は剛のそんな癖を、昔から、ようく知っていた。

そして、今でも知っている。でも、昔ほどいちいち、耳にさわらないのは、私が、剛の癖に慣れたというより、どうかして、そういうものに目を向けまい、向けまいとする、私の無意識の庇い立てのせいじゃないかしら?

その無意識の庇い立てがずり落ちたときーー、私は、剛の言動がいちいち耳にさからう、ひらたくいえば気になるのである。

引用:田辺聖子全集 6「私的生活」P309

 

 

ある日、あれ?と気づく

今日はやけに剛の言葉が引っかかる

普段はそんなに気にならないのに

 

 

 

楽しいふたりの時間に

どうして一緒にいい気分でいられないのだろう

なんでこんな時に

あんな可愛げのある人を貶めるの?

 

 

 

愛する人がいい気分でいて

同じように思えなくても、嬉しいのが

「愛」ではないかと思うのだが

 

 

 

せっかくのいい気分に

水をぶっかけるようなことを、剛は平気で口にする

 

 

 

 

いい気分や楽しかった時間を

嫉妬や嫌な言い方で台無しにする「剛の癖」

 

 

 

そう言えば、よく知っていた

「耳にさからわなかった」のが不思議

”気の合う相棒”には、こんなところがあった…

 

 

 

そういう無意識の操作、それを自分では、ごく、あたり前のことだと思ってるけど、時によると、ひょいと、

(あたしって、やさしい人間なのと、ちがいますか)

と神サマに訊きたいときがある。

(こういうのを、やさしさ、というのとちがいますか)

何かそれは、もし私がずーっとあとで、何かの罪を犯した場合、近所の人が署名して減刑嘆願をしてくれるように、それらが私を弁護してくれる、そんな気もする。

私は、剛を、そうやってやさしく、あやしてきた。(中杉氏によれば、だましだまし、という所である)それで剛は、私のことをとても気の合う相棒だと思ってるのだ。

引用:田辺聖子全集 6「私的生活」P327

 

 

 

乃里子は無意識に

「これは剛に話すこと、話さないこと」と

操作している自分に気づく

 

 

 

 

剛が喜ぶことが、どんな事か知り尽くしている

それは「愛している」からこそ、なのだが

剛はそんな乃里子をわかっていない

表面に見えるものしか、剛は感知していない

 

 

 

 

剛がそんな男であることを「あきらめ」つつも

この時点での乃里子にとっての剛は

「快適な相棒」「いい漫才コンビ」「安らぎ」

 

 

 

 

人はいろんな顔を持つ

相手によって

引き出されるものがあり、出てくるものがちがう

 

 

 

 

言ってみれば、そんな”どうしようもないこと”が

時とともに、あれ、こんなに”苦痛”やったっけ?

ー以前とは、ちがう感覚になっていることに気づく

 

 

 

 

落城の際の静寂。

いまはそんな感じである。

「君の日記読んだから、よけい、困るんでありますねえ」

「日記読んだの?」

「昔の日記」

剛はいそいで、弁解するようにいった。

昔も今もあるもんか。

引用:田辺聖子全集 6「私的生活」P363,364

 

 

 

こうなってくると

あんなに愛しかった剛との間にあった

”どうしようもなさ”は、もしかして致命的?

ー乃里子がはっきりと自覚し始める

 

 

 

 

どんなに仲のいい夫婦や恋人でも

立ち入ってはいけないところがある

しかも、剛はそこに「疑い」を持って立ち入る

 

 

 

 

 

それを、田辺聖子さんは「追いつめる」と

お書きになっている

 

 

 

 

「追いつめる」とは、逃げ場をなくすこと

 

 

 

 

ひとりになれる場所や

夫と言えど入って欲しくない場所

”逃げ場”と言うより、”自分の居場所”かもしれない

 

 

 

 

妻やパートナーである前に、”自分”である

それを、思い出させてくれるところ

結婚で大きく生活が変わった乃里子にとって

マンションは、そんな場所だったのだ

 

 

 

 

親しいからこそ、何もかも知ろうとしてはいけないのだ

何もかも知るには、人生の時間はいくらあっても足りない

知らなくてもやっていけることは、知らなくていい

 

 

 

 

”そこそこ”にしておく

時には

アバウトにしておく

”見て見ぬフリ”をする

その感覚が、いい距離感を作るのかもしれない

 

 

 

 

 

 

踏み込み過ぎて、相手との距離を詰め過ぎたり

知らなくて良いことを知って、苦しむことになったり

何事も”過ぎる”と

息苦しく(生き苦しい、とも書ける)なってしまう

 

 

 

 

 

知りたくなった剛の気持ちは、わからなくもないが

これは「触れてはいけないもの」だと

察することができるかどうか

そのセンスというか、嗅覚のようなものは

生きてゆく上で、必要な気がする

 

 

 

 

 

 

 

(神サマ、私は甘やかしすぎですか?この人に)

と私は、神サマに訊いている。私は、自分の手で、自分の城に火をつけてきたことなんか、むろん、いわない。剛を喜ばせてあげようということばかり考えてる。

しかしそれが、残酷とツーツーのやさしさであるかもしれないことも、漠然と感じてる。

引用:田辺聖子全集 6「私的生活」P380

 

 

 

 

本当は、怒るべきことを怒らない

自分の本当で、相手に向き合わない

パートナーとして

それは、相手も自分も「甘やかす」こと

 

 

 

 

「残酷とツーツーのやさしさ」

本当を”告げない”のは、一面残酷でもある

”告げないことは、やさしさ”?

まだ愛している、ということだろうか

 

 

 

 

剛が嗅ぎ回ったマンションへ行き

過去の自分の歴史を処分する

その描写は、”決定的”な雰囲気を漂わせる

 

 

 

 

だが、乃里子は処分したことを話さない

ショックだった、とは言わない

「剛には、そんなことがわからない」からだ

 

 

 

 

 

わからない相手に、ムキになって説明しない

言ったところで、どうなるものでもない

乃里子はそんなふうに考える女なのだ

 

 

 

 

それともうひとつ

これはわたしの感じたことだが

二人の間に、こういう時に”話し合う”という習慣がない

 

 

 

 

どんなことでも話し合えるふたりなら

こっそり日記を読む、こともなく

嘘のやさしさで、相手へ向かうこともないだろう

 

 

 

 

ふたりの楽しい暮らしは

乃里子の「見て見ぬフリ」や「演技力」で

成り立っていることを、剛は知らない

 

 

 

 

やがて、乃里子に限界がくる

 

 

 

 

 

でも私は起き上り、思わず本音の声で、

「止してよ!」

といった。

冷房のかすかな音だけ、という沈黙。

引用:田辺聖子全集 6「私的生活」P414

 

 

 

 

ここでの剛は

二人がギクシャクしていることに、気づいている

けれど、いつものようにふざければ

なんとかなる思ったのだろうか

 

 

 

 

思わず本音が出た乃里子に

剛は驚いたと同時に、どうしたらいいのかわからない

だから、間が空く

 

 

 

 

何とかしろよ、と言わんばかりに不機嫌になる

決定的になるのが怖いから、怒って見せるのだ

怒れば思い通りになる?

怖いから吠える犬と同じで、強がっている

 

 

 

 

乃里子は、もう隠せないし、この後フォローもできない

おふざけにのって楽しく振る舞えばいいことは

わかっていても

 

 

 

 

引き返せないところに来た、とわかった瞬間かもしれない

「もう愛せない」確信は深まってゆく

 

 

 

 

といったって、私はホカの男を好きになったとか、経済的に破綻させた、というのではないのだが、ある朝急に、どちらか一方が、

(もうあんたに対する「やさしさ」の玉は出つくした、予定終了になった、あとはヨソの台へいってくれ)

と店じまいしたら、それはやっぱり裏切りだろうからである。いったん「やさしさ」の玉を出したなら、永久に出しつくさなければいけない、少なくとも出すふりをしなければいけないんだけど……。

引用:田辺聖子全集 6「苺をつぶしながら」P494

 

 

 

この『「やさしさ」の玉は出つくした』という描写

三部作の中でも唸った部分である

 

 

 

 

相手を思って察して、うまく取りなすって

女性の方が得意なのだろう

 

 

 

 

最初は苦もなくやっていたが

ある日、自分が我慢していることに気づく

相手はそれを当然としている

 

 

 

 

すると、もう”やさしくできない”

素直になれなくなる

 

 

 

 

やさしさは、”愛”から生まれている

だけど、無限に生まれるものではなく

水や栄養をやって、”愛”を育てないと

やさしさは生まれてこない

 

 

 

 

「愛を育てる」ことを知らない?わからない?男と

「やさしさ」と引き換えのように、”愛”を伝えられない女

おふざけは、いくらでもできるのに

肝心なことを話せないふたり

 

 

 

 

ここは話さなくてもわかって欲しい

と思う乃里子の気持ちは、感覚的にとてもわかるけれど

 

 

 

 

結婚したからといって

「愛は、永久に無限にあるものではない」ことに気づかないと

一緒に暮らしてゆけないだろう

 

 

 

 

これを、早くにどちらかが気づいて話し合い

「ふーん、そんなものかな」ぐらいでも

歩み寄れていたら

『「やさしさ」の玉』も細々とでも出し続けられるのだろうけど

 

 

 

 

「店じまい」は裏切りなのでしょうか、田辺聖子さん

・・・もう、出ないものは仕方がないと思います

 

 

 

苦もなく『「やさしさ」の玉』を出せてた相手に

出せなくなる時が来る

それが「もう、愛していない」ということ

 

 

 

 

・・・・夕映えの色が蒼褪めてゆくような愛の心変わりの痛み、それらを”大阪弁”の小説で表現したかったのだ。たとえば〈愛してる〉ということはいいやすいが、〈もう、愛してない〉と告げることは、親和的な大阪弁でもむつかしい。しかし人の心のうつろいを、人は責めることができようか。

私はそれを大阪弁で書きたいと思ったのだ。

引用:田辺聖子全集 6  P711

田辺聖子「酒、唄、女、時雨の男、浪花はそのまま小説だった」

 

 

 

 

どうにもこうにも、仕方がないことがある

 

 

 

どちらがわるいとも

こうすればいいのだ!というものも

存在しない

 

 

 

 

乃里子と剛は

「息の合った漫才コンビ」であったが

”現実”が二人の間に現れた時

漫才コンビとはちがう顔や役割が必要になる

 

 

 

 

乃里子も剛も、それができなくはないはず

 

 

 

 

ただ、大会社のぼんぼんと独り立ちする女が

バランスを取るためには

お互いに”演技力”を必要とし

それをおもしろがらなければ、やっていけない

 

 

 

 

懸命に演技を続けようとした乃里子

そもそも”演技力”など

持ち合わせていなかった剛

 

 

 

 

 

 

 

ニンゲンには

”どうしてもわかり合えない部分”がある

それを

なんとかしようとしてはいけない

 

 

 

 

ほな、どうするのか?

ー見て見ぬフリをする

ー「わかり合えないこと」があるのを受け入れる

 

 

 

 

それがわからなくて頭を搔きむしり

諦めきれず、何とかしようと

右往左往するのがわたしたち

 

 

 

 

その”人生の苦味”を言葉にして

「マァマァ、そう落ち込まんと。

そんなワルイもんでもないえ」と

肩を叩いてくれるのが、田辺聖子さんなのだ

 

 

 

 

ハタチやそこらのわたしには

文章として読むことはできても

それがホンマにどういうことか

実感としてわかるようになったのは、つい最近のこと

 

 

 

 

オトナになるには時間と人生経験が必要なのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしようもないこと」に

切なくて歩みが止まってしまう時

わたしは、田辺聖子さんの小説に手を伸ばす

 

 

 

テンポが良くてノリのいい大阪弁に

巻き込まれて笑ってたら

「残酷とツーツーのやさしさ」

「あんたに対する『やさしさ』の玉は出尽くした」

ハッとして、何度も読み返すようなところに出くわす

 

 

 

 

また、わたしはひとつ知る

この気持ちはそういうことですか、と

 

 

 

 

どうしようもなさに打ちひしがれても

また、そこから

ひとの温もりが欲しくて歩き出す

 

 

 

 

新たな主人公に

もう会うことはできないけれど

やはり田辺聖子さんは、わたしにとって

時々、飲みに誘ってくれる人生の先輩なのだ

 

 

 

 

その先輩は

にぎやかなパーティでも開いて

見送って欲しいにちがいない

 

 

 

 

堅苦しいお別れの手紙より

「ほな、また!」と笑って手を振り

何ならここで、ぶつかってコケるような

お約束のギャグをして欲しいにちがいない

 

 

 

 

 

そやから、わたしは笑って見送る

田辺聖子さん ほな、また

 

 

 

 

 

 

 

 

文中の「田辺聖子全集 6」

めっちゃ分厚いですけど

三部作がいっぺんに読めます

 

ご本人の解説や文庫版が出た時のあとがき

など、田辺聖子さんの思いに触れられます

 

 

 

なんと30年ぶりの新装版!

やっぱり「言い寄る」三部作は人気があり

「一生、女の子」講談社 田辺聖子著でも

度々語られ、田辺さんご自身にとっても

特別な思い入れがあるよう

 

 

移動中に読みやすい文庫本

うっかり乗り過ごしそうになるから要注意

女を磨いて下さい

 

 

 

 

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