ロシアがウクライナに侵攻のニュース
映画どころか命の危険に晒されている人たち
ワタシ達は何ができるやろう?
映画は娯楽であり芸術であり文化
そして歴史を伝えたりメッセージを込めたり
人に考えさせたりする力を持つ
自分なりの「No War」を示しながら
ワタシは「楽しむ事」を遠慮しない
そして今の自分の周りに起こる事にもアンテナを立てようと思った
無関心がプーチンさんみたいな人をつくる・のさばらせるから
で、2022年アカデミー賞終わりましたね
観ていない映画もあるので何とも言えませんが
濱口監督、やりましたね!
今月は以下の映画を観ました
- ウエストサイド・ストーリー(米)
- 人間の証明(日)
- ゴヤの名画とやさしい泥棒(英)
- 林檎とポラロイド(ギリシャ、ポーランド、スロベニア)
- 愛なのに(日)
- オペレーション・ミンスミート(英)
- 金の糸(ジョージア)
- エルプラネタ(スペイン・アメリカ)
ウエストサイド・ストーリー
有名すぎる伝説のミュージカル映画をスピルバーグが
2022年の今、再び世界に放った
それはなぜか?
ー観てみて、今の世界をよく見るとわかる
しっかし、アメリカの差別構造って複雑なんやな
(ヨーロッパも同じか…)
インドのカーストのようにプエルトリコ系の人たちが最下層
その上に白人と移民のハーフ、みたいな
社会に拒否されてるも同然の彼らが他に熱中できるものもなく
お互いへの憎しみが自分たちの誇りのようになっている
ー彼らに原因があるんちゃうねんナ
溢れる若さや行き場のない怒りや鬱憤を
感じさせる迫力あるダンスシーン
本当のプエルトリコ系や白人のハーフの役者さんを使い
女性の描き方も自分の意見をはっきりと男性に言うような
「今」を感じさせる細やかな演出
刑務所を出て行き場も仕事もないトニーに手を差し伸べた
バレンティーナには
前「ウエストサイド・ストーリー」にアニタ役で出演したリタ・モレノさん
なんと90歳!(とても見えない)
ストーリーとしては「ロミオとジュリエット」で
わかり過ぎるほど知ってる話をここまで魅せるのは
さすがスピルバーグ
ラストの本当に死ぬかもしれない雰囲気になって
あれだけいきがってた男達の勢いが引いた
いかにバカバカしいかに気づいた彼ら
後悔しても遅いのだ・・・

1961年度版も観たくなったー

トニー役はこの映画の主人公でもあるアンセル・エルゴートくん
人間の証明
「母さん、僕の麦わら帽子どうしたでしょうね」
というフレーズと
宙を舞う麦わら帽子の映像が記憶に残っていた
角川映画祭 1977年製作
森村誠一原作、なるほど
そやし時代背景も歴史も人物もしっかりしてるんや
意味なく人を殺したり大金を奪ったりする
ハードボイルドより
こういうストーリーものが好きやな
まだ戦争からそんなに経っていない頃の話で
事件を追いかける刑事が戦後の混乱を記憶している
敗戦国とか占領軍とか
当時生きてゆくのがどんなに大変だったか
特に女性の悲しみは深い
生き延び自分の仕事を持ち
今の名声を築いた女性が過去を隠そうとした事件
隠さなくても良かったんちゃうやろか
生きてゆくために、こうするしかなかったと
正直に認めても何も失わなかったやろうに
ファッション・ショーのモデルに
あの当時珍しかったのではなかろうか
肌の黒い女性ばかりを使っていた
(あれも彼女の過去と結びつくものではあったけど)
豪華俳優陣で「わー!」の連続
一番懐かしかったのが伴淳三郎さんやった


これはぜひ、原作を読んでみたい
ゴヤの名画と優しい泥棒
原題は「The DUKE」
1960年代のイギリスでホンマにあった事件を映画化
労働者階級の人々の暮らし、街、当時の問題…
ジム・ブロードベントが演じるケンプトンが
実に憎めないユーモラスなお父さんで
”一家の困ったちゃん”でありながら大きな愛を持つ素敵な人
(ワタシの夫やったらドロシーのように困ったやろけど)
ケンプトンとドロシーは結構お年のようやけど
毎日一生懸命働かないと食べていけないお家で
その切実さがユーモアに助けられていた
そして息子ジャッキーにも
ふたりはシェアできない問題を持ちつつ
それでも長年連れ添った愛情を感じさせる夫婦で
ケンプトンが歌いながらドロシーと踊るシーンは良かったなー
法廷でボケまくるケンプトンの”素”そのものを感じさせるジムの力量
そのおとぼけ感が大衆の心をつかみ(ま、無欲やし)
人々をみーんな味方につけてしまうマジックには・・・
「できる」男ではないけれど
弱者が虐げられる出来事には黙っていられへんケンプトンの良さ
きっとドロシーはそこに心底惚れているんやろ
”できる男”の代名詞のような弁護士が
ケンプトンを弁護したところも この物語のキモ
監督は「ノッティングヒルの恋人」「ウィークエンドはパリで」
「ブラックバード 家族が家族であるうちに」のロジャー・ミッシェル
ケンプトンのおとぼけ感とドロシーのしっかり者な感じの夫婦の良さが
じわじわ微笑みを誘う

ロジャー・ミッシェル監督作
スーザン・サランドランが死にゆく母
「タイタニック」のケイト・ウィンスレットが娘のひとり

ジュリア・ロバーツとヒュー・グランドのラブ・コメ

ヘレン・ミレン これは忘れられへんな
ここまで3本、ワタシが観て良かったロジャー・ミッシェル作
「ゴヤの名画と優しい泥棒」はロジャーの遺作となったそうです…

林檎とポラロイド
これ、何の音?から映画は始まる
最後につながる幕開け(よぅく観ておいてね)
突然、記憶を無くす病気が頻発してる世界(怖い・・・)
淡々と静かに物語は進むけど
ちょっとクスッと笑いたくなるような
え、そういう事なん?と主人公と一緒に割り切れない思いになったり
ポラロイドカメラやカセットテープ
カセットレコーダー、アルバムといったホッとするアイテム
彼はぽろぽろと記憶のかけらを思い出す
自分が何者でどう生きていたのか
それを思い出せない心細さや哀しさ
思い出せなくなったフックがわかった時の大きな衝撃
アイデンティティって自分の根っこ、足元
それすら無視したり気にしない生き方もあるんやろけど
それは海原をあてもなく漂う小さな舟
愛した人、それは誰にとっても自分の根っこの一部なんやなー

愛なのに
うまく消化できひん・・・というのが正直なところ
最近思うのは、わかりやすいものは
かなりクオリティが高くないと満足できひん
この手の「ワケわからん」ものこそ
コッチを混乱の渦に巻き込むようなものこそ
「あれは何やったんやろ」と後々思うし
そういうモノを自分に入れてこそ活性化し
人生の咀嚼力が高まる気がするねん
???なりに
登場人物の行動すべての根っこに「愛」があって
「愛」が巻き起こすケッタイで残酷で、って事で
「愛なのに」ではないやろかー
R15指定で結構激しいシーンもあって
男性客が多かったのは、もしかして・・・
監督の城定秀夫さんだから?
全然知らん監督さんやったんやけど
成人映画やVシネを撮ってきた人なんやってね
そうかと思うと「めっちゃ良かった」と言われる
「アルプススタンドのはしの方」みたいな青春映画も撮ってはるけど
脚本は今泉力哉氏
もう一本「猫は逃げた」は脚本が城定さんで監督が今泉さん
っていう企画ものらしい
主人公の男性を瀬戸康史さんという俳優さんが演ってはって
彼が何ともええねん
瀬戸さんが出てる作品を初めて観たけど
これからチェックしそう

「アルプススタンドのはしの方」
これ、かなり良かったらしくラジオで何度も紹介されてた
ワタシは「観よう」ってならへんかったけど
オペレーション・ミンスミート
ミンス・パイって聞いた事がある
この場合の「ミンスミート」は”死体”なんかなー
ナチを欺いた大作戦の話やったんやけど
モンタギューはなぜ妻子をアメリカにやったん?
チャームはジーンが好きで、ジーンはモンタギューが好きやったんやろ?
へスターは一番何もかもわかってる感じやったんは何で?
(これは公式サイトを見て、何となくわかった)
モンタギューの弟は何やったん?
と、わからん事も多かった
けど、ニセ情報でナチを騙せたんやね?
この駆け引きが身近な人間関係にも出てきて
人の絆を壊しそうになるのも「戦争」の恐ろしいところ
監督は「恋に落ちたシェイクスピア」「女神の見えざる手」のジョン・マッデン
イギリス映画ってなんか品がある
オペレーション・ミンスミート 公式サイト

「女神の見えざる手」
これもドキハラでジェシカ・チャスティンが魅力的

「恋に落ちたシェイクスピア」
はるか昔に観たんやけど、覚えてへん・・・

金 の 糸
ジョージアはかつて”グルジア”
現ロシアに隣接している国
ソ連の映画はこれまであまり観た記憶がない
中国の文化大革命が人々に混乱をもたらし
分断の悲しい話の映画はいくつか観てきたが
最近になってロシアやその近辺の映画の公開が目につく
91歳のラナ・ゴゴベリゼ監督の言葉
「日本人が数世紀も前に壊れた器を金で継ぎ合わせるように
金の糸で過去を継ぎ合わせるならば
過去は、そのもっとも痛ましいものでさえ
財産になることでしょう」
テーマは「過去との和解」
ソ連時代に出版間近だったエレネの本は
政府を批判していると許可が下りず
その後20年間作家として干されたエレネ
どうやって和解できるんや?
そもそも和解の必要がある?
自由を奪われた上に経済的にも追い詰められたというのに
美しく抽象的に描かれていたので
その辺りの感覚が今ひとつワタシには伝わらなかったんやけど
傷ついた過去は切り捨て忘れるべきものではない
それがあるから今がしあわせだと思える、ということかもしれへん
かつてソ連の高官だったミランダが
今だにスーツを着て先生のような口調で上からモノを言い
「人々のために生きた」という誇りを持っているのが滑稽だった
政治的な考えの違いの溝は大きい
それでも「今」を共に生きている
大きく物事を捉えることで違って見えるということなんかな
ジョージアには優れた映画がたくさんあるらしい
こんなイベントも
エルプラネタ
なんとも不思議な映画やった
モノクロ 海辺の街 母娘生活感のない暮らし
出かけると言えばお店やショッピングモール
今時の「貧困」ってこんな感じなのかな
売春まがいの話をしていたかと思えば
有名人の仕事をNYで打ち合わせるとか、どうなってるのん?
家から一歩外に出れば閉店したお店がいっぱい
街にはお年寄りがたくさん、車椅子の人も多い
そんな街の様子が度々描写される
現実の正反対にいるかのような母娘は
実際の親子で娘役の女性が監督・脚本だと言う(びっくり)
「リアル」と「虚構」をテーマにするアーティストなんやって
母も娘も薄い氷の上を危なげに歩くような毎日
どこへ向かっているのか
どうしたいのか
娘が名前も覚えていない彼とデートし朝帰りする
既婚者と知りショックを受ける彼女
ニセモノの暮らし、ニセモノで生きる彼女に
素敵な彼は・・・現れる訳ないわなぁ
なんだか「痛い」映画やった
それにしてもスペインのヒホンという街がきれいやった
そしてエンドロール前のニュース映像?がなんとも皮肉だった
今月は・・・不思議な感じで
休みがあったのにその時に観たい映画がなく
思いつきで観た映画がすごく良かった
「林檎とポラロイド」
これ、ちょっとびっくりするクオリティ
内容もよくあるようでない、人生のやり直し
「ゴヤの名画と優しい泥棒」
「金の糸」
「エルプラネタ」
現実とどう折り合いをつけて生きて行くのか
これは誰もにとって大きなテーマやと思う