分断や差別を乗り越えて争いのない世界にするヒント「ベルファスト」「クレッシェンド 音楽の架け橋」「ガガーリン」*2022年4月に観た映画

ありとあらゆる物が値上げラッシュの今日この頃

映画も値上げになるかもなー

制作費用も大変やろうし…

今月はいろんな国の映画を観たなーとしみじみ

そしてモノクロのものが結構あった印象

移民、セクシャル、パレスチナ問題、国内の混乱、家族

テーマはいろいろながら多様な社会でどう生きるか?

ワタシらひとりひとりが問われている、みたい

今月は以下の映画を観ました

・オートクチュール(仏)

・ベルファスト(英)

・三度目の、正直(日)

・アネット(仏・独・日・ベルギー)

・私はヴァレンティナ(ブラジル)

・クレッシェンド 音楽の架け橋(独)

・親愛なる同志たちへ(露)

・カモンカモン(米)

・ガガーリン(仏)

・いつも2人で(米)

オートクチュール

縫い物や編み物をしているとなんとも言えず落ち着く

汚い言葉を使い泥棒をするジャドが

宿題をする姿はまるで別人

現実はうまく行かない困った事だらけだった彼女

縫いながらひと時、現実を忘れたんちゃうかな

何度も投げ出し人を罵るが

喧嘩したり怒ったりする事が時には必要だと

この映画を観ていて思った

ジャドに嫌がらせをする人にみんなが声を上げるシーン

はっきりNoを言うと状況は変わる

ディオールのオートクチュールを生み出すアトリエと

ジャド達移民の暮らしは別世界で

ジャドの複雑さもよく分かる

分断は私達がつくり出しているのやな

壁なんてないし手を伸ばせば届くし声も聞こえる

関係は変化する ジャドは最初からエステルと対等や

時にどちらかが相手を助けたり手を差し伸べる

これがクルクル変わる関係が良い関係なんちゃうやろか

オートクチュール 公式サイト

ジャド役 リナ・クードリを初めて観た映画

この映画でも洋服をつくる役やったなー

ここではティモシー・シャラメくんの相手役

ベルファスト

ベルファストは北アイルランドの街の名前

1960年代末頃から始まった北アイルランド紛争に

翻弄される家族の物語

今年のアカデミーで脚本賞を受賞

最初はカラーで今のベルファストかな?の街の様子

壁の落書きや家族で見る映画もカラー

物語はモノクロでその対比の意味を考えるのも面白いが

後でしみじみ…目の疲れ方が全然違う 楽だった

転げ回って遊ぶバディ(ケネス・ブラナー監督の少年期だそう)

神父さんの話を聞いて二つに分かれる道を書く

どうして世界は分断するんやろね、バディ

仲良く暮らす隣人達との生活に突然の暴力

じいちゃんの「答えがひとつなら紛争は起こらないさ」

じいちゃんはいくつか名言を吐く

少年バディの目から見た世界なので

恐怖や不安は大きいが

それなりに楽しくしあわせでもあって

監督にはつらい話もこんな形に消化されたのかとも感じた

冒頭の音楽から体がなんとなく動く感じで

父と母が仲良くダンスするセレモニーでのナンバーは

「EVERLASTEING LOVE」(よくラジオで聴くがやっとタイトルがわかった)

音楽の担当はヴァン・モリソン(名前知ってるけど全然わからん)

でも全編、音楽良かったなぁ

主な俳優さん、みんな良かった

爺ちゃん役の人は初めて見た人かも

婆ちゃんのジュディ・ディンチは流石の存在感

父も母もお兄ちゃんもバディもパーフェクト!

ベルファスト 公式サイト

(予告編のyoutube ジュディ・ディンチのインタビュー見てね)

北アイルランド紛争の事、歴史はちょっと知識があった方が

この映画の理解が深まるので町山さんの解説ラジオ(約20分ちょい)

三度目の、正直

女性のかなしみを描いた映画やと思った

流産、離婚・再婚、子どもの巣立ち…春の危うげな言動が理解できる

一方、美香子と毅は「生活がギリギリ」と言いつつ

一見円満な家庭

なぜ美香子は心身に不調をきたしているのか

最初はよくわからなかった

愛はある、なんとなくはうまく行ってる

だけど満たされていない女性の中に何があるのか?

これ観た女性は独身既婚に関わらず、わかると思うなー

そんな時に妻でも母でもなく

一人の女性として熱く見つめる人が現れたら

そりゃぐらりとくるわなー・・・

男女の”どうしようもない違い”が残念ながらあって

それが溝を作り深くしている事に

男性は気づかないことが多い気がする

気づかなくても理解できなくても「わかりたい」という人であれば

離婚したり、パートナーの心身が不調をきたすことは防げるのかもしれへん

公式サイトで監督と行動学者や映画批評家の話を読んで

「わからない」と感じた自分の感性は

それでええんやなと思えた

三度目の、正直 公式サイト

*この映画のライブシーンにエキストラとして参加させてもらいました

映ってはいませんが、エンドロールに名前があってサプライズ!でした

アネット

ダークファンタジー・ロック・オペラ、らしい

オープニングから驚く展開

「息すら止めてご覧下さい」とのコメント

スタジオにはスパークスとバンドメンバー

ガラス越しに監督と監督のお嬢さん

やがて街へと歩きながら歌うスパークスとバンド

そこへアダム・ドライバーとマリオン・コティヤールが加わり

衣装を着て物語へと入ってゆく!

他にも驚く事があるのだが

アネットが生まれた時のあの暗さはなんやろう?

なんでアネットは〇〇やったんやろう?

そしてヘンリーのコメディアン(ブラックユーモア)ぶり

全然おもしろくないし何で人気なのかもわからんかった

・・・そう、全体通して言えるのは「わからん」

共感や理解をまったく求めていない映画やと思った

スパークスが音楽を担当しているが

ワタシは彼らを全然知らず

エドガー・ライト監督の「スパークス・ブラザーズ」という映画の

予告を観たから少し知ったけど

その彼らが実にこの映画にフィットしていた

夢のようでいて

現実がすぐ側で出番を待ってる感じ

求めても求めても手に入らない焦りと絶望のような

マリオン・コティヤールもアダム・ドライバーも

好きな俳優さんで

ポスターやチラシの嵐の海の上で踊るシーンに惹かれて観た

アネット 公式サイト

レオス・カラックス監督作

これなど、ものすごいお値段がついている

なんかそれだけに、この監督の力量や人気を感じる

私はヴァレンティナ

どれだけの人が「自分が自分である」誇りを持ってるやろ

ヴァレンティナはトランスジェンダーである、の前に

私は私、としっかり持っている

ヴァレンティナを追い回す兄弟を見ていて

「何をそんなに怖がってるん?」と感じた

まるで自分の生を脅かされているようなレベルで

狭い見方である事は十分承知、理解する人たちもいるとは言え

男性の方が多様な性を認められないとワタシも感じている

排除しようと躍起になったりヴァレンティナを傷つける

なんやろうな、アレ

ラストも初顔合わせ?のクラスメイトの女の子達が

ヴァレンティナを庇う(親友のジュリオ以外男の子は庇わない)

ブラジルの映画でトランスジェンダーの中途退学は82%

平均寿命は35歳と驚く数字

学ぶ権利すら奪う周りの無理解と排他的なムード

ヴァレンティナを執拗に排除する兄弟が

男前でみんなに人気がある、いわゆるオピニオンリーダー

そんな彼らが何をそんなにムキになってる?

そこに彼らの問題が隠れてる感じがする

私はヴァレンティナ 公式サイト

トランスジェンダーを取り上げた作品

「リリーのすべて」エディ・レッドメインの熱演

これ、めっちゃ記憶に残ってる

精神的な病気とされた時代の話

「ダラス・バイヤーズクラブ」

マシュー・マコノヒーの相手役レイヨンがトランスジェンダー

 クレッシェンド 音楽の架け橋

イスラエルで和平のために

イスラエル人とパレスチナ人でオーケストラをつくる…

冒頭から白人男性とアラブ系の女性がそれぞれ

バイオリンを練習しているが環境の差 歴然

オーディションの段階から

様々な人種、宗教を持つ男女がいる

音楽を楽しむ人と闘うような音楽をする人がいる

寄ると触ると相手を罵り激しい喧嘩になるメンバー

マエストロは合宿でまずはチームとなるよう

取り組むが、困難を極める

平和ボケした島国育ちのワタシには

想像を絶する体験を彼らはしている

「憎む」なりの理由が、それぞれにある

よくある映画だと、ラストは鰻登りに

ガーっと感動的にまとまり素晴らしいコンサート…

になるだろうが

消せないわだかまりや周りから理解されない現実が

誰ものこころにあって

ラスト近くまで彼らは罵り合い絶望させられた

どうやったら「憎しみ」を一旦脇に置く事ができる?

一旦まとまりかけた彼らの場合

憎しみを持ちつつ平和を望む気持ち、だったように思う

最後の空港でのシーン

このままお互いにお別れも交わさないのは残念すぎる

少し歩み寄れた、これを無駄にしたくない

そんな感じをスクリーンから感じ取った

そして彼らには共通に「音楽」があった

罵り合っていた時は音楽が音楽でなかった

うまいが何も感じない音楽を誰もが知っていると思う

今、この人は辛いのだろうな、と分かる音楽もある

彼らは予定通りに行かなかったが得難い体験をした

それが音楽に現れた、とひとりひとりが感じたやろうな

パレスチナ問題を理解するきっかけになる映画です

クレッシェンド 音楽の架け橋 公式サイト

親愛なる同志たちへ

1962年に実際に起きた事件を描いている

ワタシのいい加減な知識で

社会主義を目指した初めての国ソ連

理想と現実が矛盾するのは、どんな国や時代でもある事

ソ連は社会主義へと舵を切ったものの

ホンマの社会主義には程遠い現実やったんやなー

主人公はスターリンを絶対的に信じて崇めているけど

娘は彼のした事を冷静に覚えている

「こうあって欲しい」がうまく行かないものの努力をしている

…というのが優遇されつつ矛盾に目を瞑る母を含めた党の役人たち

ワタシの浅い知識では

レーニンがリーダーでロシア革命を起こしたけど

文盲の人がかなりいて民としては”期が熟していなかった”

民が賢くならなければ結局こういう事になる

だからと言って資本主義が絶対でもない

王様が支配する世界から選挙でリーダーを選ぶ時代へ

歴史の流れから見て、それだけでも大きな進歩

みんなが幸せになる世の中は簡単には得られない

それはどんな世の中なのか

世界で到達している国はあらへんのとちゃうかー

映画に戻る

軍隊のトップが「憲法では軍は国民を守るために戦うのであって

国民に武力行使はできない」と

そうやんなぁ・・・

それを暴力的に鎮圧し隠蔽されたノボチェルカックス事件

中国では天安門事件がそういうことやんな

ワタシら、賢くならなあかん

84歳のコンチャロフスキー 自分の国に愛があるから

失望したり残念やと思ってる

親愛なる同志たちへ 公式サイト

カモンカモン

天使なのか悪魔なのか

ジェシーにワタシまで振り回される

洗濯機に放り込まれたみたいに

それはワタシやジョニーの未熟さだけが原因ではなく

実の母親でさえ、そうなのやから

ここは通らなければ先へ行けへんのやろうな

9歳のおちびがやたら鋭かったり

さりげなく痛いところを突いてきたり

油断も隙もあったもんじゃない!

その”向こう”やその”根底”にある物を見る、という事を

今、学んでいる

ジェシーの支離滅裂な言動にも、そうなんや…

ホアキン・フェニックスがとてもいい

彼の人間性がにじみ出ている

リバー・フェニックスの弟さんなのよねー

こちらもモノクロ作品

シンプルで温かみ、落ち着きを感じさせる

今月3本目のモノクロ映画や

「カモンカモン」って呼んでるのかと思えば

「先へ先へ」と訳されていた

ジェシーのかわいい声でこのフレーズが今も聞こえる…

カモンカモン 公式サイト

ホアキンと言えば、前作はコレ

(ワタシは観たいと思わなかった)

コンピューターのOSに恋をするコレ

これは良かったなぁ〜

(スカーレット・ヨハンソンがOSの”声”役であの声が印象的)

ガガーリン

ユーリがめっちゃ良くて

こんな素敵な男の子が近くにいたら絶対恋をしそう

16歳、宇宙への夢や憧れ、ネグレクト…

フランス映画?と思えるような人種の坩堝の団地住まい

台詞は少ないのにユーリの孤独や憧れ、彼を取り巻く社会が伝わる

月や太陽、星が度々描写され、日食をみんなで見られるように

シートを張るシーンなど素晴らしかった!

手先も器用でなんでも作るし工夫する力もすごい

そんなユーリを知り恋をするディアナは

「オートクチュール 」「フレンチ・ディスパッチ」のリナ・クードリ

ディアナに少しずつ近づき一緒に踊ったり手を繋ぐシーンは美しい

正直言って、予告編はこの映画の良さが半分しか伝わらない

さほど期待してなかったけど、なんか気になって観て大正解

ヒットはしてない?ようだけど、コレおすすめです

ガガーリン 公式サイト

公式サイト内にこんな素敵な映画のあらすじ

いつも2人で

午前十時の映画祭企画

ヘプバーンの映画!しかも倦怠期の妻役

バービー人形のようなファッション、ショートカットからセミロング

おしゃれな彼女を見るだけでも楽しい

そしてコメディアンヌぶりを発揮してる〜

ジョアンナがマークに恋をしたのが

よくわからんかったけど

恋ってそういうもんやな 理屈じゃない

結婚してラブラブで

やがて子どもができて、すれ違い

夫は仕事がうまく行ったは良いが昔とは大違い

そんな長い月日をパズルのピースのように見せてゆく

(マークの魅力がさっぱりわからんかったけど)

離婚という言葉が飛び交う2人が、なぜ別れないのか

それは過去からの積み重ねがあるから?

こんなものかもしれへんナー

愛はとっくに終わっていて友達や同志というわけでもない

けど今さら離婚っていうのも面倒なのだろう

「ローマの休日」の初々しいイメージのヘプバーンが

笑い転げる娘時代から成熟した女性の複雑さを見せる

へぇ、こんな役もしたんやなぁと

ただ、びっくりするくらい痩せていて

もうちょっとふっくらした方が

おしゃれな服ももっと似合ったやろうにナ

いつも2人で 午前十時の映画祭サイト

いつも2人で Wikipedia

「多様性」という言葉が聞こえない日はない

世界中から過去から、こんなにも多くの人たちの声が聞こえる

「生きづらさ」は個人の問題ではなく社会の問題なんや

分断や差別の行き着く先は”戦争”

今、それを見せつけられている

それでも争いが絶えない

自分の頭で考える、話し合ってお互いを知る

誰にでもすぐできる事は、コレなんちゃうやろかー

以下の映画にヒントがあると思った

「ベルファスト」

「オートクチュール 」

「私はヴァレンティナ」

「クレッシェンド 音楽の架け橋」

「親愛なる同志たちへ」