そうだ 京都、行こう。
このポスターで有名になった?源光庵
こちらも京都のかなり端っこ
わたしは自転車で行ける距離♪
坂道の上なので乗る、というより
自転車を押して行って参りました!
玄琢下(げんたくした)から
坂道を上がって行くと八坂神社がありました
おけら参りの八坂さんとは違います
いつ頃つくられたのかははっきりしない
(そういうトコ多いけど 要はかなり昔ってこと)
石造りの鳥居
舞台拝殿
本殿 その前の狛犬も棟門も立派!
このあたりは江戸時代
野間玄琢というお医者さまの薬草園
だったとか
それで玄琢というんですって
側のお家からは西陣の機音(はたおと)が
聞こえていました
もう珍しいです この音が聞けるのも
そしてまた坂道を上がって行くと常照寺
吉野太夫ゆかりのお寺
えーと吉野太夫(よしのたゆう)って誰?
っていう話なんですが
まず太夫(たゆう)とは
遊女、芸妓の位で最高位
今でも京都の島原(花街)には太夫がいるらしい!
吉野太夫は10代目まであったらしいですが
長くなるので端折ると
大変な才色兼備で
お隣明国にまでその名が轟いていたそうです
吉野太夫は
常照寺を開いた僧 日乾上人を拠り所としていて
このお寺の朱門を贈ったようです
(上の写真です)
境内には太夫のお墓があり
今も4月には太夫の花供養が行われ
島原から太夫が参拝する行事があります
吉野太夫が愛した吉野窓は
残念な感じでしたが
もうじき境内は桜に包まれそうでした
そして源光庵へ
例のポスターには
悟りの窓と迷いの窓の写真
本堂に入ってすぐにありました
悟りは丸くて迷いは四角・・・
丸形には禅と円通の心を表し
円は大宇宙を表現しているんだとか
角形は人間の生涯を象徴し
生老病死の四苦八苦を表しているそうです
春まだ浅く窓から見えるお庭は
そっけないものでした
やっぱり紅葉の時期が1番のようです
そして源光庵のもうひとつの見どころは
血天井!
この前の正伝寺にもあるそうですが
関ヶ原の戦いのはじまり
伏見桃山城での戦でたくさんの人が討死
生き残りも自刃し
彼らの魂をなぐさめるために
血痕の残った床板が五つの寺院に分けられたそうです
この源光庵には
足跡や手形がハッキリ残っていました
写真には収めましたが
これは生で見た方がいいと思います
本堂の天井板すべてではないのかもしれませんが
あの空間に身を置いてみて
ご自分で感じてみるのが1番だと思います
わたしは悟りの窓と迷いの窓を見て
血天井を見たりお庭を見て
宇宙の中にある大きな世界の日本にいて
こんな歴史の時間の流れの今にいる
その静けさになんとも複雑な気分になりました
お庭が見えるところで
しばらく瞑想させてもらったのですが
なんとも妙な感じで
わずかな時間でやめました
その感覚 あなただったら
どんなふうに感じるでしょう?
この辺り鷹峯三山を見渡す景勝地は
江戸時代 徳川家康が本阿弥光悦に与えた土地で
光悦は工芸集落をつくりました
今で言う「アートビレッジ」で
いいのかな?
光悦は俵屋宗達、尾形光琳とともに
琳派の創始者で
数多くの陶器や書、蒔絵など残しています
去年京都国立博物館で琳派の展示会は
ものすごい盛況だったそうですが
そんな光悦のお墓があるのが光悦寺
そして7つも茶室があって
鷹ヶ峯 鷲ヶ峰 天ヶ峰を望めます
本堂はさほど大きくなく
点々と庭に茶室がいくつもあるのは
なんだか不思議でした
お寺?って感じです
やっぱり京都は古くて新しい街
タクシーでやってきた
フランスのお客さんを案内する方
着物姿のご婦人方など
京都のこんな端っこまで来る人は
やっぱりかなりの通な人なんだろうな
なんて思いながら歩きました
今回歩いてみて鷹峯三山を初めて知って
江戸時代からここは開けていたこと
驚きの連続!
「利休にたずねよ」だとか「輪違屋糸里」
ここ数年読んだ本とも結びついて
あらためて京都ってすごいトコです
こんなコースもご案内できます
こことあそこだけとか
お昼にしょうざんリゾートの中華が食べられたら
あとはおまかせ、とか
ご希望にできるだけ応えます