自分だけは大丈夫*病気から復帰坂本教授の正直な発言

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教授が復帰する

映画音楽で華やかに再び登場

 

 

病気で治療に専念していた彼の正直な発言が話題になっている

 

 

病気の発覚について

「実は自分が一番驚いた

万が一にもそれががんだとは疑いもしなかった

 

 

 

これを責めている発言も多数見かけるけれど

わたしは非常に正直だと感心したと同時に

誰もがあることだと思う(もちろんわたしも)

 

 

 

 

 

元看護師なので

「まさか」を何度聞いたことだろう

 

 

自分だけは大丈夫

これは楽観的と言っていいものかどうか

 

 

心理学的には現実逃避的に考えて

心理安定を図るメカニズムだと言う

 

 

自分にとって耳障りがいいか、都合がいいかで判断しているため

本質から目を背けているだけ

 

 

確かに

 

 

認めるのが怖いのよね

自分も病気になる可能性のある生身の人間だってことを

 

 

自分の当たり前の弱さを認めてしまうと

頑張ってきた自分が崩れてしまう

どこかで必死にバランスを取ってきた自分が大崩壊してしまう

 

 

実は怖がりで弱虫な自分が人前にさらされる

 

 

・・・・・

 

 

それって恥ずかしいこと?

カッコ悪いこと?

 

 

 

 

 

わたしもたくさんおそれを抱いて生きてる

100%怖いもの知らずの人なんているんだろうか?

 

 

いつからか「こわい」「どうしたらいいの」って

言えなくなってしまうんだろう?

 

 

言えなくなることが大人になることなんだろうか?

打ち消したいから言い訳ができるようになるんだろうか?

 

 

大丈夫大丈夫 きっとうまくいく

だって○○してるから だってあの人が××言ってたから

大丈夫大丈夫 きっと大丈夫

だって頑張っているから だって関係ないから

自分だけは大丈夫

 

 

こんな感じで思い込みはつくられるのだろうか

 

 

わたしも「まー大丈夫でしょう」とよく思う

心配や不安はしていても仕方がないから

そういう思考が必要な場面とそうでない場面がある

 

 

 

 

 

3年前に父が亡くなった

看護師だったから何度も何度も人の死には出会ってきた

 

 

朝方電話が鳴り響き 玄関のインターフォンが押され

父が救急車で運ばれたと聞いたとき まともな思考はぶっ飛んだ

やっぱりこんな日が来てしまった」

 

 

たくさんの爆弾を抱えているような父の体をわかっていても

どこかで「まだまだ先だ」と思っていた

「いつ何があってもおかしくない」と母に言いながら

 

 

父が亡くなってみて

つくづく「絶対大丈夫なんてありえない」と

わたしの中に太字で書き込まれた

 

 

「いつか終わりがくる」という当たり前のことが

初めて現実感を持ってわたしの元にやってきた

 

 

 

 

 

それから「何があるかわからない」という思考が常にある

自分にも家族にもまわりにも

だからできる準備はしておこうといつも思う

 

 

今回教授が正直に発言されたのは

大きな病気を経験されて今まで見えていなかったことに

気づかれたからだと思う

 

 

それを責めるのではなくて

元気になった彼の姿から学んで欲しい

 

 

彼は痛いほど後悔したことだろう

そして「生きたい」と強く意識したのだろう

 

 

そして自分の弱さを人前でさらせるだけの経験をしたのだ

 

 

後悔しない時間を過ごしたい