先週の金曜日の夜のことでした
お風呂から出てきたら
母からメッセージが入っていました
つい数分前で病院から
骨折をして今 処置が終わってこれから帰る
あらま
自転車で5分の実家に行ってみると
夕食もこれからで
骨折した以外はいつものように動けるようでした
横断歩道を渡って
歩道のわずかな段差で転んだそうです
足腰は丈夫で元気な母がそんなところで転ぶとは!
3年半前に父が亡くなってからは
いつ何があってもおかしくないんだと
思うようになりました
父が亡くなったことで
母の老いもはっきり感じるようになりました
幸い手首の骨折で済みましたが
転んだ時に車にはねられたり
頭を打たなくて良かったです
周りの方が助け起こし
痛みのあまり声も出ない母を見て
救急車を呼んで下さったそうです
本当にありがとうございました
昨日は病院に付き添い
検査や診察を受けてきました
手術を受けることになりました
ただでさえショックを引きずっているのに
慣れない病院で
あっちへこっちへと疲れたようです
様子を見ていて
ひとりでは難しくなってきたことが
増えてきたように感じました
以前、看護師をしていましたので
高齢の方々と常に接していました
こんなふうに人は歳を取るんだなーと
毎日思い知らされていました
いざ自分の母のこととなると
こどもの頃のしっかりした母のイメージが
いつまでもあって
とんちんかんで気力が続かず
私に丸投げ状態になる母を見ていて
かなしくなります
特に父が亡くなってしばらくは
母が可愛いそうで仕方ありませんでした
でもね
それ間違ってたなぁって思います
確かに父を失った悲しみは大きいけれど
父と一緒だった母はしあわせだったようだし
少しずつ元気を取り戻し
一人でも行きたい旅行へ行ったり
自分の予定を最優先で生きている母を見て
今本当に制限されずやりたいように
やれているのかもしれないな、と思いました
また本当は大事な時に
どうしたらいいのかわからなくて
オロオロしているのが本来の母で
なのにすごく頑張って
私や弟を育て働いてきたんだろうな
と最近わかるようになりました
もう私たちが大人になり
現役を引退した母は
気楽に生きられるようになったのです
だから母娘が逆転していて
何かあると私が何か手を貸すのも
そうなるようになっているんだなぁと
納得しました
だからもう「かわいそう」なんて
思っていません
今回の事件も冷静に受け止め
必要な手助けをするのが
私のお役目
過剰に世話も焼きません
できることは自分で
これまでのようにやってもらいます
きっとそれが母のしあわせだから
あとどのくらい一緒に過ごせるか
わかりませんが
複雑な思いがないわけでもありませんし
母は母が思うように
私は私がやりたいように生きながら
接点を大事にすることが
お互いのしあわせなんだろうなー
もちろんどこのお家にもあるように
わかりあえること
わかりあえないこと
いろいろありますが
やっぱり親なので
人生の最終盤できることは
したいなぁと思います