ここ数年毎年参加している京都自由学校
京都自由学校
おもしろいこと おもしろい人に出会います
今年も
「こころ楽しむ・かかわって遊ぶ♪」に
何回か参加します
5月のこの気持ちのいい時期
第1回目 いま・ここを感じる に行ってきました
会場は平野神社(桜の名所です)
今回は
アレクサンダー・テクニークの先生が
講師としてこられるワークショップ
絵を描くんだそうです
わたし「絵を描く」って苦手中の苦手!
「見る」なら興味あるんですが
自分が「描く」のは引いてしまいます
それはなぜかって言うと
小学校の頃 図画工作が5段階評価で2
見たまま・思うまま・描く・作るが
悔しいほどできなくて
いつも誰かの真似をして
無難にやり過ごそうとしていました
今から思うと
何をもって「できない」と思っていたんだか
こどもの頃から
「できる」「できない」に囚われていたなんて
なんだかかわいそうに思います
できなくても楽しければやればいいし
おもしろければドンドン描き、作ってみたらいい
今は、そう思えます
そーんなわたしだからこそ
苦手で引いてしまう絵を描いてみる!
ものすごーく久しぶりに
やってみよ〜♪と思い行ってきました
まずワークをせずに
今の自分を描いてみました
まる・さんかく・しかくを使って
青と黄色だけを使います
その絵がこちら
全員のを並べてみんなで見た後
先生がひとりずつインタビューされました
それぞれ自分のからだや心をイメージして
線の太い細い
色の強弱
画用紙の使い方
みんな違っていておもしろかった
わたしはからだのパーツは
全く浮かばなくて
こころの中というのか
わたしという人の中に
まるもさんかくもしかくもあって
それぞれの中に別のカタチもある・・・
実に数秘での9
混沌 カオスらしいわたしが出ているナー
そしてもうひとつ
ここに堂々と(?)載せたわけは
「結構 自由やん、ワタシ」
と感じたからなんですね
しかも画用紙いっぱいに描いていて
まだ描きたいくらいで
濃い色からだんだん薄い色に
したくなって
この後からだの中を先生が持っている
解剖学のような本のイラストで
見て行きます
からだの中にある「まる」を探します
頭蓋骨・肋骨・骨盤に包まれたスペース
その中にある臓器
背骨でつながっている
その話を自分の体で確かめながら
進んで行きます
鼻と耳の穴が交差したあたりの
高さから背骨が始まってるって
知ってました?
骨と骨がどう重なっていて
頭が左を向くと
骨はどう動いているか
知ってました?
そういう学びが
アレクサンダー・テクニーク
講座の案内にはこう書かれていました
19世紀のシェイクスピア劇俳優
F.M.アレクサンダーの発見に基づいた
自分の身心が持つクセや緊張に気づき
やめてみることで可能性を開くメソード
からだのつながりを感じた後
歩いてみる
目の窪み(眼窩)をゆっくりなぞった後
目を閉じて光を感じてみる
そんな自分のからだだけにフォーカスした後
また絵を描きました
今度は「動き」を頭に置いて
なんでしょ
この顕微鏡で見た細胞みたいな(笑)
左の空白はね
こうやって描いたからなんです
山型に折って描いた人
筒状で仕上げた人
まる・さんかく・しかくを超えた人
最初よりずーっと自由度が上がっていました
わたしも最初と最後の絵は
誰の目も気にせず
手が動くまま
思考はストップして描けたように思います
平野神社の境内に
大きなクスノキがありました
圧倒されるような大きさです
冒頭の写真はクスノキの花です
緑のいい匂いはこの木ですね!
大きな木が好きなわたしは
始まる前にクスノキに触れて
木の周りをぐるり歩きました
いまを楽しむ
こんななんでもないことも
自分のココロの望むことかどうか?
面倒でも考えてみる
計算じゃなくて
好きか嫌いか
もっと壊してゆく
「できる」「できない」優先の前のわたし
世の常識に当てはめて考えてるわたし
灯篭のこの部分 「火袋」って言うんですって
丸い日の方は東に月は西に向ける慣習があるそうです
わたしが自由になってきたのは
心屋仁之助さんのBeトレに行くようになった
影響が大きいと思われます
もちろんそれだけじゃないけど
毎月生でお話を聞いて
本やブログを読んで
ゆっくり変わってきました
まずはBeトレがどんなのか
DVDで見て下さい
(ダイジェスト版を視聴できます)