熊本の地震や
今、世界で起こっていること
周りの人に起こっていること
わたしが存在する世界で
起こっていることを見ていて
「しあわせってなんやろう?」
何度となく思ってきた
今、わたしは〈しあわせ〉やと
思って毎日を生きてる
何がどう〈しあわせ〉かといえば
元気にこの世に生まれ
大きな病気もせず事故にも合わず
今日まで無事に生きてきたことが
ひとつめの大きなしあわせ
家族がいて頼りにしてくれたり
困った時助けてくれたりする
家族が元気でいてくれることが
わたしのしあわせ
毎日機嫌よく自分の気持ちに正直に
嫌なことは何ひとつせず
暮らしているしあわせ
個性的で自分らしく生きている
素敵な友達がいるしあわせ
美味しいものを食べられるしあわせ
思っていることを書けるしあわせ
わたしの写真を喜んでもらえるしあわせ
ま、書いているとキリがない
小さなしあわせだらけの毎日
だからわたし しあわせ
物理的に
ぽんぽんとお仕事をもらえたらなぁ
とか
気の合う友達と
心ゆくまでおしゃべりできたらなぁ
とか
思いついたら
パッと旅に出かけられたらなぁ
とか
そりゃあります 物欲
〈しあわせ〉って 人それぞれ
健康で家族みんなでいられたら
それがしあわせ
という人もいるだろうし
あれとあれが手に入ればしあわせ
と考える人もいると思う
なんとなく
社会的ステータスや家や車
結婚の有無やこどもがいるいない
この辺りも
しあわせの判断基準に上がってくるのかな
わたしほとんど持ってへんなぁ・・・(笑)
そやけど〈しあわせ〉って思って生きてる
なんかおめでたい感じ(笑)
さっきも書いたような物欲
もっとあったら もっとええなあ
あったら さぞかし しあわせ
でもなぁ 今もしあわせやな
のんびり笑ってられるお気楽なわたしが
なんかええ感じやと思う
この前 ある場所で一緒になった人が
「うまくできひん」
「きれいにできひん」
自分のやることを
「できない」「ダメ」という目でしか
見えないみたいで
ずーっと悪く言うてはって
そんなことないんちゃう?って言うても
ただおもしろがってわたしがやっていても
言動が変わらなかった
この人のしあわせって
何やろうなぁと思いました
うまくできたら
上手やったら
楽しいのかなぁ
そりゃ楽しいわな
でも
うまくいかなくても楽しいことってある
何でうまくいかへんのかな?
こうしてみたらどうやろう
あれは関係ないかなぁ?
そんな風に考えるのが楽しいこともある
なかなか進まへんけど
ひとつ進んだときに
めっちゃ嬉しくって
さらにハマるって あると思う
わたしも人からどう見られているか
ばっかり気にしてた時は
おどおど ビクビクしてた
「できる」「できない」にこだわって
評価されないと「あかん」と思ってた
謙虚であることが
人から評価されることのひとつで
うまくゆく秘訣やと思ってた
その頃は〈しあわせ〉やと思うことって
なかったかもしれない
健康なことも「当たり前」やと
思っていた
けど「当たり前」なんてどこにもないのやなぁ
ってわかるようになった
いろんなモノやコトが変わってゆく中で
もし あの時あそこに行かなかったら
出会わなかった人・コト・モノ
出会えた奇跡を感じる時
その重みやそのヨロコビがよくわかる
自分の願う結果にならなくても
まずは出会えたコトは
すっごい確率
それを人は〈ご縁〉と言う
あんなに仲が良かったのに
なぜか離れてしまう友達
あんなに大好きだったのに
気持ちが冷めてしまう
あのコトこのコト
そうかと思えば
ずっと変わらずに好きでいる
人・モノ・コトもある
でも「好き」な気持ちが
深くなって「愛」になるような
変化はある
だから「このまま変わらないで」
と人は思う
変わることを知っているから
今 happyじゃない事実が
〈しあわせ〉と感じているわたしにある
だけど自分が今持っているしあわせを
全否定しない
happyじゃない事実が
わたしの全てをunhappyにはしない
なんとなく自分に言い聞かせるように
書いている
どんなことを感じても構わないが
自分の大事なことを見失いたくなくて
happyじゃない事実が
いつか姿や表情を変える日が
来るかもしれないと知っているから
わたしが変わってきたきっかけのひとつ
それは心屋仁之助さんに出会ったこと
how toでなくbeing(在り方)について
毎月こころのお勉強
東京ではライブ会員が満席だとか
まずはこちらでダイジェスト版を
もちろんLIVEが1番やけど
DVDで見てみてください
仁さんのビジュアルが
どんどん変化してゆくのが
結構面白い(笑)