9月になった
8月、意外に映画を観なかった
もっと観た印象があるが
8月は4本
「ヒトラーへの285枚の葉書」
「残像」
「ローマ法皇になる日まで」
「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン
世界で一番優雅な野獣」
「ヒトラーへの285枚の葉書」
時代の空気感に寒気がした
同じアパートで暮らすユダヤ人老女の最後
強制的に協力させられる婦人会
職場でも「ハイル ヒットラー」と
一斉に手を挙げ声を出す
最初、夫婦はバラバラだった
ひたすら見ないふり考えないふりをして
我が身を守るしかない時代
ひとり息子を亡くし
生きていても仕方がないと開き直ってから
一緒にささやかな抵抗に出る
足がすくむような
身体中が震えるような恐怖
二人だったからできたのだろう
ナチスは人間性をことごとく破壊した
人間らしいものを奪われた時
人は人でなくなる
人が人でなくなった時 何が起こるか?
歴史を見れば答えがある
嫌なものは嫌!
わたしは意思表示する
それが一歩だと思う
「残像」
これまたヘヴィな
第二次世界大戦を引きずる映画
国家が芸術のあり方にまで口を出す
表現の自由がない状態は
自由に意見が言えないだけじゃない
絵を描くことも
好きな画家を応援することも
経験ある教師から学ぶことも
奪う
芸術とは、こういうものです
それを国家が決めるなんて
今の時代から見たらコントのようだけど
わずか60年ほど前に
映画の舞台となったポーランドだけでなく
日本でも本当にあったこと
最後まで意志を貫いて
仕事を奪われ
表現手段を奪われ
作品を破壊され
親しい友達も
慕ってくれていた学生たちも
我が子も体制に協力せざるをえない
それでも自分の考えを貫く
それが正しい、間違ってる
素晴らしい、とか
そんな薄っぺらいものではなくて
生き方として自分はどうなのか?
この映画を通して
考えて欲しい、忘れないで欲しい
監督は強く願いながら
亡くなられたのではないだろうか
「ローマ法皇になる日まで」
わたしの人生の中で
まさかローマ法王をもっと知りたい
と思う瞬間が来るなんて!
今のローマ法王がどんな人なのかすら
知らなかった
アルゼンチン出身で
軍事政権下でのめちゃくちゃな圧政の中で
辛い危険な立場を経験した人だなんて
思いもしなかった
去年だったか
「光のノスタルジア」
「真珠のボタン」を観て
南米で過去何があったのかを知った
あれがこの映画への伏線だった
この映画を理解するための映画だった
苦悩を重ねて絶望しそうになりながら
長い年月を経て
彼はローマ法王に選ばれた
ここに希望が生まれた
世界の人に
彼の故郷 南米に
歴史は繰り返すと言われる
その気配を感じる今
こんな勇気ある映画を創ることができる人間
後戻りしたり前に進んだり
歩みはジグザクだけど
やっぱり生きてるって何かができる
あいも変わらず戦争したり
差別をしたり人間はどうしようもないけれど
やっぱり素晴らしくもある
わたしも矛盾だらけのひとり
「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン
世界で一番優雅な野獣」
ドキュメンタリーは
眠くなることも多い
これはどんどん引き込まれ
こちらも熱くなる
秀でた才能は8歳からの
ひたすらの練習から生まれた
1日休めば身体中に激痛だという
【家族のため】
それが彼の拠り所だった
楽ではないことを突き詰めて行く時
「なぜこれをやってるんだろう?」
わからなくなって
問い直す時が来るのだろう
その時に「自分以外の誰かのため」
というのは
「ちがうよ!」とメッセージが来るのだ
8歳から始めて22歳で
イギリスのロイヤルバレエ団の
プリンシパルから突然の脱退
映画の中では母親に
「支配されていた」と告げるシーンもある
通り抜けるべきあたりまえの道
全世界で2100万回以上見られた
「Take Me to Church」のyoutube
彼の友達の振り付けだけに
彼の内面を表したようなバレエ
これはおそらく
多くの人のバレエへのイメージを変える
挫折や傷を負って
どんな方向へ向かったとしても
改めて自分に向き合い
生きる人というのは魅力的だ
才能に恵まれる
その一方で
誰もが通る本当の意味での
アイデンティティを確立する時
それをさらけ出したセルゲイの勇気
人をうらやましく思うことは多い
けどみんなそれぞれ
それなりのことを抱え経験し生きている
そんな当たり前を思い知る
4作品とも
それぞれに素晴らしかった!
生き方、あり方を
問われるような作品ばかり
いいものに触れると
〈こころ〉や〈たましい〉が洗われる
今月も「ショコラ」「Lion」
など観たい作品がいっぱい