わたしが変わってきたのは[ 3.11 ]もひとつのきっかけだった

 

日本中そして世界の多くの人も

この日を特別に感じてる

京都に住むわたしも

 

 

わたしは震災の2年前

宮城県から京都に帰ってきてん

向こうで3年暮らしたん

 

 

父が駅で転んで肩を骨折したり

アパートの保証人会社が

倒産したり

 

 

 

何より

一緒になるつもりやったひととお別れした

その傷も癒えてきて

 

 

 

もう宮城にいる理由は

その時の仕事だけやった

生まれ育った京都に帰ろうって

気力が湧いてきた

 

 

 

あの時

帰る選択をしていなかったら

わたしは

今ここにいなかったかもしれへん

 

 

 

 

 

 

 

 

だから昨日という日は

いろんなことを思い出したり

今のしあわせを再認識したり

生きてるよろこびを感じる

 

 

一緒になりたかったひととお別れして

世界が終わったような気がしてた

 

 

京都に帰ったら

ひっそり猫でも飼って暮らそうと思ってた

 

 

きっと、もうこれからずっと

ひとりぼっちだと

勝手に思い込んでた

 

 

生きててよかったね、わたし

 

 

世界は終わってなかったし

今の自分のしあわせにも気付けたし

こんなに正直に生きられてる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しい!」

「おもしろい!」

「わくわくする♪」

 

 

 

そんな気持ちが

さっぱりわからなかったわたしが

今は隠れてた罪悪感を取っ払いながら

生きている!

 

 

 

命を輝かせるって

こういうことなんちゃうやろか

 

 

 

精一杯生きてるって

これも「そーやん」って思うねん

 

 

 

ちがう意見のひともいはるやろけど

わたしはそう思う

みんなと一緒とちごて、ええやん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7年前の震災は

多くのひとを変えた

 

 

生き方・在り方を見直したひとは

たくさんいる

わたしもそや

 

 

「いつか〇〇したい」

そういうのちゃっちゃとやろう

明日はどうかわからへん

 

 

残された時間がどれくらいあるのか

予想もつかへんから

 

 

好きなことを

やろうと思ってることを

どんどんやっていくことが

自分を生きること

 

 

自分の使命は自分を生きること

これは誰もに課せられたこと

 

 

今の自分のしあわせに気づけたって

使命を生きてるってことちゃうん

 

 

誰かの意見に引っ張られたり

何かに書いてある通りにする

それはちゃうやん

 

 

どんなに少数でも

どんなに変わっていると思われても

自分が思った通り行けばええねんナ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何年か前に震災のことに触れて

「精一杯生きます」って書いたら

「精一杯生きられない人もいる」って

言われたことがあった

 

 

確かにそうやけど

わたしはもっと《 精一杯 》生きられる

って思ったのん

 

 

できるならやったらいい

できないひとに「やれ」って

言うてるんちゃうねん

 

 

【わたしは】

精一杯生きます

やねん

 

 

口に出したり書いたりすることで

自分に言い聞かせてるねん

 

 

人の言うことは放っておいて

自分がどう考えてどう生きるか?

そっちが大事!

 

 

 

 

 

 

 

 

被災して困難な人は

7年経っても まだたくさんいはる

 

 

 

直接何かできなくても

今やれることをやって生きてることが

まわりまわって誰かの役に立ったり

励みや慰めになったりする

 

 

 

そういうことって

きっとあると思うのね

 

 

 

わたしはそっちで生きる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気持ちを新たに

また今日から

 

 

 

 

 

*写真は今朝撮ったものです

霜が降りてた冷え込む朝でした