かわいがってもらった親戚が亡くなった
がんだった
確かこの3年程の間に
病気が見つかり治療をし中断をし
闘病していた
まだ若い
数年前に最後に会った時
猫を何匹か飼っていて
「猫のためにも頑張らなね」と言ってた
きっと最後まで
一生懸命生きたんだろうな
あなたは身内の死に出会った経験が
あるだろうか?
経験がある人は
仕事で出会う【死】とどう違っただろう?
やっぱり違うんじゃないだろうか?
・・・わたしはそうだったから
父を3年前に亡くした
いつかそういうこともあるだろうと
わかっていたが
ちっともわかっていなかった
覚悟もできていなかった
脳梗塞を2回してTIAも何度かあって
心臓も肝臓も腎臓も悪くて
ようやく透析に同意して
時々血圧が40台まで下がり
連絡先を確認されていた
本人は家で暮らすことができ
ひとりで透析にも通えていた
リスクは高かったとは言え
ある日突然の死だった
もちろん看護師をしていたから
対応はなんとなくわかるが
家族としてお葬式などのセレモニーや
手続きにまつわる様々なことに
驚いたり感心することしきり、だった
悲しんでいる、というか
自分の感情に目を向けているヒマはなかった
母は頼りなく
こんなに頼りないのかと驚く程に
アテにならず
関東にいる弟が帰ってくるまで
大変だった
あれこれが片付いてからは
ようやく自分の感情や記憶など
自分の内面へと矢印が向いた
親とか家族って
きれいごとで済まないところがある
ドロドロの感情があったりする
特にわたしは父が嫌いだったので
複雑な思いもひとしおだった
ただ【嫌い】だからこんなことはしたくない
という思いにはならず
お葬式やその後の様々は
愛情を持ってできたのが不思議だった
これが家族だからかもしれない
書き出すと長くなるが
看護師をやっていたからって言っても
人の【死】はこんなに大変なことなんだと
自分でも驚いた
患者さんの【死】と身内の【死】は
こんなに違うんだと身に染みた
仕事で出会う【死】はその時々に
思いはもちろんあるが
エンジェルケアをして送り出せば
その後はご家族と会う機会がなければ
もう終わりになる
病院とのやりとりに
複雑な感情を見せるご家族のことが
今なら以前よりわかるようになった
人間の様々ないきさつから
生まれた感情は
行動を大きく左右する
看護師はその場に居合わせ
ただ見守る
わたしはその「ただ見守る」が
わかっていなかった
できていなかった
それがいいとか悪いとか
自分のものさしで判断したり
それに対してどう関わるかと
「なんとかしよう」としていた
ま、それが仕事なのだが
【見守る】【ただ側にいる】
それで充分だったのに
いい、悪いはその人が決めることだったのに
あー・・・
こんなことがわかるようになってた
父の死や看護師を辞めてからの時間で
おとなになったな
去年、今年と人の【死】に出会うと
「アンタはどうなんや」
「それでいいの?」と聞かれている気がする
後悔なく生きなさいよと
背中を押されている
こんな感覚はここ数年で
看護師をしているときには
思いもしなかった
現場で頑張るあなたには
もっと多くを学ぶ機会があるだろう
もっと豊かな感性で
影響を受けていることだろう
全ての経験
仕事に直接関係がないようなことも
すべてすべて
いつかあなたに必要なときがくる
役に立ったとわかるときがくる
だから今日もいい仕事をして下さい