昨日はとてもショックで
「やってしまった〜〜〜(泣)」
久々にそう感じる日だった
とても楽しみにしていた予定をキャンセルして
わざわざ行ったのにも関わらず
時間を間違えていて終わっていた…
でもそこで顔を合わす友達に
偶然会って一緒にお茶して
いろんなことをたくさん話した
すごくいい時間になった
それがわたし
なんか意味がある気がしてならない
確かにわざわざ行こうとしてた予定は
楽しみな部分もあったし
その次は3月になってしまう
どうだったか友達の話を聞いて
ますます残念な気持ち
やっちまったー!自分にため息な感じ
それはもちろん確かにあるんだけど
友達が近くを歩いているわたしに
気づいて声をかけてくれた
まずはその奇跡が不思議で
お茶に誘ってくれて
ゆっくり落ち着いて話せたことが
すごくすごく良かった
いい時間を過ごしながら
「このためにわたし間違えてたのかな」
「いやいや単に思い込んでただけ」
こころの中で不思議な思いが拭えなかった
一見【失敗】なんだけど
その代わり?に出会えたコトに
自分が満足したこの不思議
時間が経てば
これが何かにつながっていた!
なんてことになるのかな
まー、そういうことにしよう!
楽しみにしておこう!
仕事ができる人って憧れた
情熱的に仕事をするって
すごくいいイメージを持っていた
運動が得意ではなかったわたしは
運動できる人に憧れた
【できる】は良くて
【できない】はみっともない
いつのまにかそんな価値観を握りしめていた
できなくても練習したり
楽しめたり
「向いてないや」とわかったり
【できない】にもいろんな側面がある
親の価値観の影響で
「なんでもできるようになる」は絶対だった
だから何でもモノゴトを
【できる】【できない】の基準でしか
捉えていなかった
そして【できる】と認める基準というのも
人それぞれなのに
やたらハードルが高いわたし…
看護の現場で優秀な人はたくさんいる
その優秀な人の中にもミスがあり
基準も様々だった
上や下を見ていたらキリがない
優秀な人を見上げては
そうなれない自分を責めていた
自分のチカラのない部分に
ギリギリと痛めつけられた
チカラがある部分もあっただろうに
やってもやっても
優秀な人に追いつけず
わからないこと戸惑うことばかりだった
それでもなんとか慣れて
そこそこ仕事はできるようになったが
自分で自分が認められなかった
なんて自分はだめなんだろう
ここから変わることができなかった
誰でもできること・できないこと
得意なこと・不得意なことがある
それが受け入れられず
パーフェクトでない自分が許せなかった
「なつみさんでも間違うんだね」
「失敗するなんて珍しい」
他人のささいなひと言にいつも傷ついた
いろんな経験を経て
自分の良さも未熟さもだめなところも
以前よりずっと認められるようになった
そうすると
最初に書いたような失敗をしても
取り繕うような言い訳もせず
素直に「こんな大ポカをした」と
正直に言えるようになった
たまにとんでもない大きなポカをするのは
実にわたしらしい
で、大発見をした
【できる】【できない】を
自分の大事な基準にしてるって
それが
【楽しい】【楽しくない】でも
全然いいはずなのに
自分が【できない】側に回ったときの
その情けなさや自分を責めるのが
ちょっとおかしい、と気づいた
できなくても
やってみることに意味があったり
できるようになるまでの途中だったり
できない、と結論を出して方向を変える
そーいうのもアリなのに
【できない】はダメ!と
それはそれは頑ななのだ・・・
【できる】への憧れが強すぎる
スーパーマンはいないのに
これがあるから
わたし息苦しいのだ いろんなことに
友達や先生、上司から言われたのも
きっとこういうことだ
これに気づいた
気づきは変化のはじまり
だから昨日あんな失敗をした
【できない】【ダメ】なわたしが顔を出した
あ〜、もう!って頭を抱えながら
アホやなぁって思っていたら
ちゃんと次が用意されていた
認めて必要以上に責めなかったら
いいところにオチがあった
雨の月曜日
うまくいかないことの連続かもしれない
でもドンマイ
ミスにちゃんと向き合ったり
パッと切り替えたりしていたら
失敗は必要な経験かもしれない
事態は必ずいい方に変わってゆく
今はできなくてもできる日がくる
かもしれない
【できる】も【できない】も素晴らしい