年明け、親戚が亡くなった
がんだった
頻繁にやりとりをしている人ではなかったが
小さい頃かわいがってもらった
今、本当にがんの人が多い
去年の北斗晶さんの乳がん
川島なおみさんの胆管がんなど
がんになる人が増えている
わたしが最後にいた病棟は
内科と外科の混合で
今まで知らなかった外科の患者さんや
外科の先生、治療、看護など
学ぶことが多かった
地域の小さな病院だったので
高齢の患者さんが多く
がんが発見されると
先生の意見を聞いて
手術や抗がん剤治療を受ける人が
ほとんどだった
どんな治療があって
どんな選択肢があるか
セカンドオピニオンまで考える人は
ほとんど、なかった
だから先生の現状に合わせた治療法を
選ぶ人がほとんどで
外科の先生はほぼ積極的な治療を勧めていた
見つけたら切る、叩くというもの
何もせず様子を見るという
内科の先生や家庭医のような方法は
全くなかった
どんな治療を選ぶのかは
その人の選択で
何がいい悪いは医療サイドが決めることではない
だが、わたしはいくつも見た
治療を受けたばかりに
命を縮めてしまった患者さんの例を
手術など受けなければ
こんなに苦しまずに済んだかもしれないのに
そう思ったことも何度もある
勿論リスクの説明はされる
同意のもとの手術だけれど
良くなるために受けたのに
なぜこんなことになるのか
他人のわたしですら
やりきれない思いがした
今、がんの積極的な治療を否定する医師や
民間療法など様々なやり方を取り入れて
手術や抗がん剤を使わない考え方がある
去年亡くなった友達は
断糖療法をしていた
最後まで口から食事を摂ること
リハビリをして歩くことを
懸命にやっていたようだった
医師から点滴を言われても
玄米スープやりんごのすりおろしなど
おいしいと元気が出ると
感謝しながらひと口でも食べていた
くわしいことはよく知らないが
わたしは友達の選択をすごいなと
思って見ていた
見ていられない家族を説得し
自分が納得できる医師や病院を探し
エネルギーのいるコミュニケーションに
時間を使って
最後まで懸命に生きた友達と
もう会えなくてかなしいけれど
友達は満足しているんだと思った
自分の命を存分に使ったと思った
家族は最後まで笑顔だったと
もういないのが信じられない
と言いながらも
最善の最後だったと
思っていらっしゃるようだった
まだまだ人体のことは
3割ぐらいしかわかっていない
という説もある
科学や技術は日進月歩
驚くようなことができるようになっている
中には本当に必要なことなのか
理解できないこともある
病院に来た以上
一定のシステムに乗らざるを得ない現状
病状によっては選択肢はひとつ
ということもあり得る
大腸カメラの検査入院で
ポリープが見つかり
カメラでは取ることができず
手術を勧められた患者さんが
無症状だし受けたくないと
こんなこと言ってはいけないだろうかと
わたしは相談されたことがある
いいんですよ
選ぶのは患者さんですと言って
医師に伝わるようにリーダーに依頼した
結果手術を受けず
経過フォローの診察は受け
取った方がいいポリープは
いつの間にか消えたそうだ
報告を受けた時良かったですねと
喜びながら
「大丈夫ですよね?」と患者さんに聞かれた
もちろん正直に
それはわからない、と答えた
リスクは聞いているだろうし
その上で患者さんが選んだことだから
その結果への責任は自分にある
大きな決断は時に人の意見を要したり
迷いに迷ったりする
どっちに転ぶかわからない
どっちに転んでも自分が選んだこと
だれのせいにもできない
その覚悟が必要なのだが
そこまでの話は
その頃のわたしにはわからなかった
またそんな覚悟ができていないまま
先生の勧め通りの治療を受け
状態が悪くなったと
先生の責任にする患者さんや家族もいて
トラブルになることもあった
医師も神さまではない
最善を尽くしてうまくいかないこともある
またミスをすることもある
どんな結果になろうとも
信頼関係だとは思う
その信頼関係を結べるほど
時間が持てない現状があったり
フラットな状態で向き合えない
両者がいたりする
ここをつなぐのが看護師の役割だと思う
どちらの味方でもあり
両方の立場や気持ちがわかる
患者さんが納得できるところに
落ち着けるようにすることが
一番いいのだろう
今、わたしは一般的ながんの治療に
疑問を持っている
常識とされていることが
本当に正しいのか?
それは自分にとって大事なのか?
すべてをそんな目で見て
考えないと
「こんなはずじゃなかった!」となってしまう
もしわたしにがんが見つかったら
何を選ぶだろうか
そんなことも時々考える