ワタシがしたいことは「わかちあい、育む」こと

 

 

去年「対等」という言葉が

何度もやって来た

 

 

聞いて聞いて、わたしの話を聞いて

教えて、あれをこれを

それ自体が良くないんと違ごて

そこに「お互いさま」がないのね

 

 

くどいほど相手の話ばかり聞かされる

いつもいつも頼られる

ーこれ友達ちゃうナー・・・

 

 

 

 

 

 

もうひとつふたつ

「対等」を考えさせられる出来事があって

わたし自身もあらゆる人に

どうなんやろ?と考えさせられた

 

 

そのタイミングで

ベストセラー「嫌われる勇気」を読んだ

ここにも「対等」が出てきてハッとした

 

 

内容が濃すぎて付いて行けてない感じ

肚に落としたくて1章ずつ読み込んで深めてみた

note )

 

 

これだけ〇〇してあげてるのに」が

出てきたら対等ちゃうナ

と気がついた

 

 

わたし自身が

どんな人とも対等ではなかった

 

 

ひとつでも上下関係があれば

(「嫌われる勇気」では”縦の関係”と表現されてる)

人間関係を”縦”で捉えているらしい

 

 

この人とはわたしが上、とか

あの人とは対等、のように

分けて付き合えるほど、人は器用ではないそうだ

 

 

そもそも、わたしが上下を持ち込んでいた!?

 

 

 

 

 

 

 

そんなこともあり

他のところでも今年になってからも

去年までは「対等」と出てくる

(ホンマ、どきっとする)

 

 

この2、3日ふっと浮かび上がったのは

わたしはわかちあいたい

育みたい

だった

 

 

何を?

 

 

よろこびや楽しさ
お互いの経験や知識
をわかちあいたい

 

 

人やモノとの関係
わたしの中で生まれたもの
感じたこと、言葉を育みたい

 

 

 

それがしたくて

書いたり撮ったり人と会ったり

合気道をしたり発信したりしてる

 

 

 

あぁ、そうや そうやわ

ワタシ(にとって)の正解!って時

こういう感じになる

 

 

 

出てきた言葉が妙にしっくりきて

そうやわ、そうそう!って膝を打つような

 

 

 

これまでも、そうやった

いろんなことやってきた、その奥に

わかちあう 育む があった

 

 

 

 

 

 

 

最初から完成しているものはない

答えが出ているものもない

 

 

 

やってみたけど飛び込んでみたけど

聞いてみたけどドアをノックしたけど

うまくいかないことばかり

 

 

 

対等じゃなかったのかもしれない

あたま・こころ・からだがバラバラだったのかもしれない

時間がもっと必要だったのかもしれない

 

 

 

ワタシは「わかちあいたい」し「育みたい」から

ソレがわかればソレをやるだけ

今年のテーマはこれだ