モノが発する氣にやられた*イマココジブン呼吸

 

モノがたくさんあると安心する

という人もいる

 

 

モノが発する氣を

エネルギーにできる人もいるのだろう

 

 

「わたし」は、ちがうんやなー

と改めて感じた経験をした

 

 

 

 

 

 

壁に隙間もなくモノが吊るされたり

磁石でくっつけられ

戸棚には隙間がないほど食器や本が並んでいる

 

 

ありとあらゆる調理器具が箱に入ったまま

壁になっている

 

 

暮らしている人にとっては

コックピットのように

うまく収まっている感覚なのだろう

 

 

最初はただ圧倒されて見ていた

 

 

 

 

 

 

 

この汚れはなんだろう?

ー埃が溜まっていた

 

 

掃除機もどこかにあるのだろうし

ただ「そんな気がした」だけなのだが

掃除はしてないだろうなぁ・・・

 

 

「お茶を淹れたい、お湯を沸かしたい」

と思ったが

やかんが見当たらない

 

 

電気ポットは見えたが

奥の方にあり上にモノが置かれていた

 

 

便利そうな

ありとあらゆる調理器具があるのに

やかんがない・・・

 

 

わたしには

それがすべてを物語る気がした

 

 

 

 

 

 

以前、友達がモノの多さを嘆いていた

モノを置く場所がないくらい「ある」のに

次から次へ買う家族に困っていると

 

 

あの使われない「モノの氣」に

わたしはやられた、と友達が話していた

今回の経験でそれを思い出した

 

 

モノの多さは想像できるけど

それに囲まれて過ごす経験をしてみて

「モノが発する氣って、これか!」と、わかった

 

 

そこにいると圧迫されるような

息苦しくなるような

健康な自分から何かが奪われるような

 

 

外に出て風を感じたり

太陽の光や自分の呼吸で

「流れる氣」に触れてホッとした

 

 

あのモノだらけの場所に居たくない

無意識に自分が動いていたことに気づく

 

 

ありとあらゆる色、形、模様、デザイン

箱の文字、絵etc…

ものすごい情報が見ようとしなくても

飛び込んでくる

 

 

ただ居るだけで疲れる感じ

 

 

 

 

 

 

 

動きがない

モノが暮らしているかのようなところにいると

 

 

わたしから発する氣が

動きのないモノに吸い取られてゆく

吸い取った氣でさらに圧迫感を増す

 

 

そんな映像がありありと浮かんだ

 

 

 

 

今朝の呼吸で

「モノが発する氣」に圧倒された

自分の内側を感じて

(滞ったり色が変わっていた)

 

 

風や光をイメージして

深い呼吸を繰り返し自分の氣を思い出すことができた

 

 

「感じる」ことを大切にしていると

感度が磨かれる

 

 

敏感になると

無理や我慢ができなくなる

 

 

そうなると

現実的には困ることも起こる

 

 

でも、あのモノの多さを見て

何も感じないことの方が不自然だろう

 

 

わたしは自分の快・不快に敏感でありたい

 

 

 

 

 

 

 

感度を磨く

本当はどう感じていたのかを振り返る

感覚を言葉にする

 

 

呼吸にはそんな力がある

だから続けているのだと思う

 

 

という理屈は後付け

実は気持ちがいいから、スッキリするから

続けている、というのが正直なところ

 

 

あなたもご自身のからだが持つ

地味だけど実はスゴイ営みを

あらためて真っ白な気持ちで感じてみませんか

 

 

 

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気楽に、だけどじっくり呼吸をやってみる

 

 

 

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毎日、自分を感じて整える

自分に敏感になる

 

 

 

*写真は今、わたしの最強の癒し

チューリップの鉢植え