ただ「感じる」*イマココジブン呼吸

 

 

何だか落ち着かない時

何かが引っかかる時

腹が立つ時

 

 

お腹が空いた時

さみしい時

情けない時

 

 

あ、そうか

わたし、今 そう感じてるんかー

と受け止めています

 

 

あかんやん、とか

しっかりしなはれ、とか

おとなのくせに、とか

散々やってきた ダメ出しはやめました

 

 

 

 

 

わたしだけかもしれへんけど

自分が何をどう感じてるのか(考えてるのか、ではなく)

わかってへん時が多かった

 

 

「それ、どうでもええやん」

と思ってきたんやけど

ええことあらへんのやわ!と気づいた

 

 

なんでか、と言えば

「わたし」を生きてへんから

 

 

一体、誰を生きていたのか(笑)

何をしたかったのか(笑)

未だに自分で、よくわからへん

 

 

 

 

 

 

よっぽど意識をしないと

自分の感覚・感情に無関心で

そのくせ周囲に「わかってくれへん!」と

拗ねていた困ったひとでした

 

 

アンタが一番わかってへんやん(笑)

 

 

 

 

 

以前から「からだ」に関心があって

動かしたりマッサージしてもらうと

シンプルに「気持ちがいい」

 

 

その感覚を知ると

快・不快に

めちゃめちゃ敏感になってゆきました

 

 

 

 

 

手こずったのは「感情」で

怒ったり泣いたり、を「よくないもの」として

 

 

すぐ怒ったり泣いたりする自分を

いつも「あかん」と

こどもの頃から思ってきました

 

 

怒らない人が大人なん?

世の中に出てみたら

理不尽に怒る人だらけ(笑)

 

 

そして当然の怒り、というのもある

と知ったり

 

 

自分が怒られなくても

怒っている人がとても苦手で

そのくせ自分は怒りっぽくて

 

 

今はわかるねん

感情なんて自分勝手なもの

理不尽だろうが当然だろうが

その基準なんてあらへん

 

 

みんな自分のものさしで

正しい、間違ってるってやってる

 

 

そやから

わたしはわたしのものさしで

腹が立つのもヨロコビを感じるのも

普通で当たり前のこと

 

 

自分にダメ出ししたり否定しない

…このスタンスでやってみている

ただ「感じる」も、そのひとつ

 

 

 

 

 

 

「考える」では答えが見つからへん

 

 

でも

「感じる」にすると

自分なりの答えが見つかる

 

 

答えはすぐ来なかったり

なかったりもする

その時はゆっくりでいいしスルーもあり

 

 

 

 

 

 

「感じる」って侮れへん

 

 

なんか、おかしいと思った

ボヤッとしたカンが当たってた!

って事、わりとありませんか?

 

 

スーッと涼しい風を感じただけで

からだもこころも楽になった、とか

 

 

言葉はなくても

相手の優しさや思いやりを感じた、とか

 

 

誰もが素敵な「感じる力」を持っていて

ありとあらゆる時に使ってるのに

なぜか低く見たり侮ってる

 

 

もっと「感じる力」を信頼したい

 

 

 

 

 

「考える」より「感じる」

呼吸をベースに発信中

 

 

頭を休めて感覚だけになる呼吸を体感してみる

 

 

集中して呼吸を音声で学んでみる