今月のトピックは
映画館の「全席開放」ですかねー
うーん、どうなんだろう
映画館としては1回で
たくさんのお客さんに入ってもらえるのは
嬉しいだろうなー
わたしもたくさんの人と一緒に観る
って、嬉しいけれど
そして、9月は”なら国際映画祭”が開催されました
去年、京都映画祭に行ってみて
どうやら全然レベルはちがう感じ
行政側が無理やりイベント化して
タレント呼んだり(吉本の芸人さんが1回ツィートで50万円!?)
そんなイベントはお金の無駄遣いでしかなく
市民や映画関係者が
自主的に企画や参加をしないと
盛り上がらないしおもしろくない
それなら、今
京都のミニシアターがやってる企画と手を組むとか
本気で行政も関わらないと
やる意味がない
今月は以下です
- ブラインド・マッサージ
- HONEYLAND 永遠の谷
- 世宗大王
- Public 図書館の奇跡
- 真夏の夜のJAZZ
- ニュー・シネマ・パラダイス
- ようこそ 映画音響の世界へ
- はちどり
- 行き止まりの世界に生まれて
ドキュメンタリーが4本
韓国映画が2本、でした
ブラインド・マッサージ
久しぶりの中国映画
出演者の大半が本当の視力障害の人で
俳優さん達はぼやけたコンタクトレンズを
入れての演技だったと聞く
あまりに正直でストレートで
生々しくて哀しくて
映像も目の不自由な人からは
こう見えてるのかな?と感じたり
視覚に頼れないからこそ
匂いや相手に触れるなど
彼らの野性的とも言える五感の凄さに
腰が引けた
一番ビビったのは
視覚なしに女性から放たれる色気を感じ取り
衝動を抑えられない若い男性が
周りに人がいるところで女性にむしゃぶりつくシーン
(全員が目が不自由)
言葉はないし音と気配だけで
その場にいる数人の目の不自由な人たちは
何かマズい気配を察知していた
当事者は何も言わず
周りも何も言わないのに
なんとも言えない雰囲気になる
あのシーンはすごかった
「目が見えない」
ここから起こりうる様々な事を描いているが
誰もが言葉にしづらいような
敢えて言葉にする事として
誰かの胸に留まらないような小さな事実の結晶
どうでも良い事だが
シャオマーが
星野源のような山崎まさよしのような
・・・とにかく似ていた
見えないけれど、ある
見えてるけど、ない
HONEYLAND 永遠の谷
なんて美しい映画だろう!
北マケドニアがどのあたりにあるのか
帰ってきてすぐ調べた
養蜂家のドキュメンタリー
たった一人で養蜂をする彼女の暮らし
日に焼けた顔、髪を包む美しい布
嵐のようにやってきた隣人が
彼女に教わり養蜂を始めるが
蜂とうまく付き合えないのに欲を優先する
あれは現代を示唆しているのだろう
自然の恵みへの感謝や
分かち合う事を忘れた亡者の行き着く先は
彼女の母の言葉通りになる
過酷な自然界と彼女の孤独
決して美人ではないのに彼女の美しさに
何度もハッとさせられた
生き方佇まいが美しいのだ
自然に逆らわず共に在ろうとする人間に
大自然は優しい
世宗大王 星を追う者たち
1400年代の朝鮮
明の支配を受け、時も暦も文字も
朝鮮独自のものを持たない従属国やったんかー
日本は室町幕府の頃
こうして映画を見て世界史を学ぶ
王もヨンシルも
いつも頭にあるのは民が幸せになる事
二人が星を見上げ寝転がる場面
雨が続き王の寝所に星を見せる場面
共に力を合わせ作る場面
美しいシーンがたくさんある
ヨンシル役の俳優さんが
本当にいい顔をされていて
味のある年輪を重ねた彼の顔に見惚れた
(日本で言うと西田敏行さんみたいな)
国のような大きなものに関わらないところで
二人は出会ったとしたら
夢は叶わなかっただろう
けれど穏やかで平和な良き友として
ずっと一緒に学び研鑽できただろうな
あらためて言うまでもないが
韓国映画のレベル高すぎ
彼らの自らへの誇りの高さがつくづく羨ましい
ホ・ジノ監督のプロフィールを見ていたら
「八月のクリスマス」が初の長編作だったとか
あの眼鏡をかけた主人公はハン・ソッキュよね
ハン・ソッキュ(王)とチェ・ミンシク(ヨンシル)は
「シュリ」で共演したと
「シュリ」どんな映画だったけ、と思わずチェック
こうして1本の映画からまた世界が広がってゆく
パブリック 図書館の奇跡
こんな大きな図書館がある街が
うらやましい
強烈なラップと寂れた街
個性豊かなホームレスたちから映画が始まる
そこからして型破りな匂いがする
スチュワートの意外な過去
人は彼の過去の記録を見て
そこから彼を判断し決めつける
過去の間違いや失敗は
2度と挽回できない決定的なものやろか
・・・これは自戒を持って覚えておこう
家がなくて
社会から「困った人」扱いを受けている人たちは
スチュワートの過去より、はるか上をゆく
「俺なんか…」と何回捕まったのか自慢し合う
人としてどちらが素晴らしいだろう
こんなセンスの持ち主が増えれば
世の中明るくならへん?
彼らの行動に毛布や衣類、食べ物を持って
駆けつける市民たちがいて
これを選挙戦で有利なネタにしようとする
市長候補がいて
テロや事件に仕立て上げたいマスコミがいて
ビターな結果にしかならないのだろうが
催涙弾を発射されたり
怪我人や死亡者が出ない結末に持ってゆけたのは
#Black Lives Matterのアメリカでは
「奇跡」なのかもしれない
真夏の夜のジャズ
1958年7月の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」
のドキュメンタリー
ルイ・アームストロング、チャック・ベリーぐらいしか
わからないわたしだけど
ジャズの多彩さ、深さを堪能した
野外ステージで
音楽を楽しむ人たちの様子やファッション
も楽しく
デジタル修復された映画は
音もリアルで臨場感があり深みがあった
ジャズならではの即興演奏や歌と楽器の掛け合い
アニタ・オデイの天才的なボーカルや
圧倒的だったマヘリヤ・ジャックソン
黒人差別が比較的マシな地域だったんだろうなー
たくさんのミュージシャンや観客に肌の黒い人が
自然に普通にいて
みんなが一緒に楽しんでいたのが
こちらもハッピーにさせられた
ニュー・シネマ・パラダイス
ラスト近く、気がついたら
涙がこぼれていた
エンリオ・モリコーネさんが亡くなって
久しぶりに予告編やダイジェストを
見ていたというのに
この映画は確か3度目か4度目なのに
この映画、色々なバージョンがあるらしく
今回観たのは
大人になった主人公がアルフレードの残した形見を
観ている場面で終わりだった
確かあるのよね
あの彼女と再会するバージョン
アルフレードが敢えて
彼と引き裂くシーンがあるバージョン
ま、置いといて
あの無邪気でかわいいトトが
アフルレードと映画のそばで大きくなる
おおらかな時代で
映画だけが人々の娯楽で
あの村の雰囲気、教会の牧師さんが
映画の検閲をしていたり
映画館で知り合った二人が結ばれ
こどもと一緒に映画館に来て
年老いてアルフレードのお葬式に来る
そんな村の歴史の移り変わり
大人になって見返す映画
やっぱりいいなぁ
お客さん多かった・・・
れいこいるか
このタイトルを知って鷲掴みにされた
ところが映画が始まると
自主制作映画のような吉本新喜劇のような
・・・力が抜けた
でも何かがあるはずやと確信があって
共に何か大きな体験をした者同士
例えば学生時代のクラブ活動の仲間
ずっと特別だったりする
あの二人がまともに
あの事を話す場面は一切ない
それはお互いに「相手はわかっている」と
わかっているからやと思う
人間はそんな立派なもん、ちゃう
そやけど捨てたもんでもない
どんな時でもユーモアと自分の気持ちに正直であれ
いまおか監督、こんな感じでしょうかー
この映画を音声で話しています
ようこそ 映画音響の世界へ
底の浅い横長の入れ物に豆を入れて
ゆっくり左右させ波の音を作った
なんて話を聞いたことがある
「”音”で映画は決まる」と言っても良いのかも
無声映画時代から
名作の「音」を振り返り映画音響の発展を知り
最初から最後までおもしろすぎて釘付けだった
スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、コッポラ
ピクサーのアニメ
今や映画の代名詞と言われる人たちが
どれだけ音に拘ったか
音作りの魅力、苦労、工夫
録音の風景
音響技師のナマの声
最後の方のベン・バートの言葉が印象的だった
(「スター・ウォーズ」など華々しい活躍)
彼自身もおもしろくて
仕方がなかったのだろうし
のめり込んだのだろうな
これこそ映画館の音響システムで観るべし
は ち ど り
はちどりは世界で最も小さい鳥のひとつ
その羽を1秒に80回も羽ばたかせ
蜜を求めて長く飛び続けると言う
「希望・愛・生命力」の象徴なのだそう
なるほどウニはそうなのかもしれない
自分が中2の頃に引き戻された
あのフクザツな年頃の女の子に
言葉なんていらないのかもしれない
ただ黙って話を聞いてあげればいいのか
それだけで安心するのか
中2ぐらいの子は
そんなに自分から喋るものでもないし
そんな相手に黙って話を聞いて
ぽつり、としか言葉を発しないヨンジ先生
以前は16、7歳が主人公の話が多く
特別な年代扱いだったが
今はもうちょっと下、12〜14歳ぐらいの話が
多い気がする
(「mid90’s」「行き止まりの世界に生まれて」「Honey boy」など)
行止まりの世界に生まれて
スケートボードで走り抜ける道路や街は
いつも不思議なほどガラガラ
寂れた街のスケボー仲間
アメリカ人、黒人、中国人と
肌の色も顔つきも違う3人の日常
楽しいだけ・・・じゃない現実
家族の仲が良くない
父か母のどちらかがいない
家庭内に暴力があった
どのお家にも色々あるだろうが
この3人には共通するものがあった
力で相手を服従させようとしたり
自分の強さを見せつけようとするのは
当然間違っている
だけど、なぜそういうやり方なのか?
その背景を見ることが解決につながると
この頃は言われるようになった
暴力が存在する、暴力を振るってしまう
原因は社会や世の中にある
それを実感する映画になっている
この映画を撮った
スケボー少年3人のうちの1人ビンは
心の傷の存在を認め
なぜそんな事になったのかを
ある意味この映画で検証している
本人が気付き向き合わなければ
物事は良い方に向かわない
家庭だけのせいではない
世の中や経済、人種、働いても抜け出せない貧困
様々な問題を孕んでいて
彼らはよく見て感じて、わかっている
「mid90’s」も
スケボーの少年たちの成長ものらしいが
わたしは断然こちらが観たかった
スケボーのシーンが何とも気持ち良くて
ああして風になっている時間は
何も考えず
ただ気持ちが良くて未来があるように思えるんだろうな
(サイトの「ビン・リュー監督によるオンライントークレポート」がとても良かったので、ぜひ読んでみて)
今月、観逃したのが
高倉健特集の「幸福の黄色いハンカチ」
特集は続き「鉄道員(ぽっぽや)」はぜひ観たい
しみじみ感動したのが
・世宗大王
・ニュー・シネマ・パラダイス
映像のテクニックや素晴らしさは
・HONEYLAND
・ブラインド・マッサージ
過去の作品と結びついたのは
・世宗大王
・Public 図書館の奇跡
(ここでは触れていませんが
以前観てとても良かった『星の旅人たち』の監督作です)
過去の記憶と結びついたり
全く知らない世界へと連れて行ってくれたり
映画の裏側を体感できたり
映画の世界に刺激されたり
教わったり慰められたり、です
noteで映画のことをお喋りしています
すごく心に響いたものを取り上げて
気まぐれ・不定期ですが